やってもやっても終わりません。窓から外を見ると、何とトラックの荷台に人が鈴なりになって乗っているのが見えました。みなさん治療を受けに来たのです。
「これ以上は無理だ。先生、逃げましょう」
先代が裏口を指さしながら言いました。私たちは昼ごはんも食べずに治療をしています。このままだと夜ごはんも抜いて、深夜までかかっても終わらないかもしれません。明日は明日で予定があります。ここらで失礼したほうが良さそうです。かと言って、「これで打ち切ります」と言うと、「どうしてだ」と迫ってくる人もいるかもしれません。
私たちは、休憩するふりをして裏口から表へ出て、そのまま車に乗って逃げ出したのです。気の毒ではありましたが、2人では限界があります。たぶん先代は、チェルノブイリの被ばく者治療のときのように、お弟子さんたちをたくさん連れて、もう一度来ようと考えていたはずです。困った人を見捨てることのできない方でした。
1週間足らずの滞在でしたが、貴重な体験をさせていただきました。
帰国した翌年の3月でした。急に咳が止まらなくって周囲のすすめもあって自分の病院に入院しました。3日後には咳は止まりましたが、痛風発作が出て動けなくなりました。ちょうど同じころ、ホピの村を案内してくれた映画監督の宮田雪きよしさんと先代が相次いで脳出血で倒れました。宮田さんと一緒に村を案内してくれた大場さんという方から、「ホピ族の反長老派の呪いに違いない」という電話がありました。私は信じられませんでしたが、宮田さんは寝た切りになり、先代は亡くなり、私も翌年も翌々年も3月に入ると目まいがして動けなくなりました。さすがに、呪いという言葉が真実味をもって迫ってきました。
そのころ、ホピ族の内部では、伝統を守ろうとする一派と、水道や電気を通して近代的な生活をしたいという一派が対立していました。私たちは伝統派の人たちと会っていましたので、近代化を進めたい人たちからは警戒されていました。その上、気功で病人の治療をしたりしていて、こいつらは危険だと思われたのかもしれません。確かに、村を歩いていると、見張られている気配がしました。
気功をやっている人はよく邪気を受けると言います。呪いも邪気の一種だろうと思います。基本的に、私には邪気という考え方はありません。と言うのは、だれもがお互いに場を高め合う関係にあるからです。私は患者さんの場を高め、患者さんは私の場を高めてくれています。だれも、私の足を引っ張ろうとは思っていません。ですから、もし宮田さんや先代が倒れたり、私が入院したのがホピの呪いのせいだとしても、場という観点から言えば、それぞれ場を高め合っていることだと、私は考えています。先代が、倒れたあとに、「何か意味があって病気になるのだからその意味を考えないといけない」と言っていたそうですが、すばらしい気づきをされたと感心しました。病気とか死を一方的に悪いものだと決めつける現代人への強烈なメッセージだと思います。場のレベルが高まったからこそ言えることだと思います。
新型コロナウイルスも、多くの人が嫌って排除しようとしています。もちろん、感染を止めることは重要なことですが、もっと大切なのはウイルスの蔓延から何を学ぶかではないでしょか。
これから世の中は大きく変わると思います。私たちが何を学ぶかによって、変化の大きさや方向は違ってきます。不安になったり怖がるのではなく、このピンチからいろいろなことを学んでいきたいと思っています。
久々にお会いした中川会長は、風貌も雰囲気も先代に少し似てきたかなと思いました。先代の残してくれた真氣光を大切に育てている様子を拝見して、とてもうれしく感じました。