表舞台から姿を消した自然治癒力ですが、完全に消え去ったわけではありませんでした。なぜなら、だれもが自然治癒力の存在を身近に感じているからです。たとえば転んで擦り傷をしたとします。消毒くらいはするでしょうが、だいたい放っておけば治ってしまいます。石や茶碗は割れたり欠けたりしたらもうもとには戻らないのに、生物の傷はなぜ治るのか。自然治癒力があるからです。だれもが自然治癒力の恩恵を被っているのです。
特に、私たち外科医は自然治癒力がなければ成り立たない職業です。もっと自然治癒力に敬意をもってもいいと思うのですが、自分の技術だけで病気を治しているように勘違いしている方がたくさんいるようです。
私は食道がんを専門とする外科医でした。食道がんの手術は大変です。胸を開けて病巣部を切除したら、胃を持ち上げてきて残った食道とつなぎます。食べたものが漏れたら大変ですから慎重に縫い合わせます。
傷口を縫って手術は終わります。そこまでが外科医の仕事です。あとは自然治癒力が傷口をふさいでくれます。私は手術をするたびに自然治癒力のすごさを感じ、感謝したものです。
自然治癒力と免疫力を混同している方がけっこういます。免疫力はリンパ球などによって自己と非自己を見分けて、非自己なら排除する。あくまでも肉体レベルの働きで、自然治癒力の一部と考えていいのではないでしょうか。
私は、生命場のもつ特性や潜在能力を自然治癒力だと考えています。人間のからだには、氣とかプネウマといった目に見えないエネルギーが詰まっていて場を作り上げています。それが生命場です。
生命場は、免疫力やDNAの修復能力をコントロールして体内の秩序を保とうとしています。そして、乱れそうになったり、乱れてしまったら、体内の環境や外界からの影響を総合的に判断して回復しようとする。それが自然治癒力ではないでしょうか。
新型コロナウイルスの騒ぎで多くの人が免疫力の大切さを知りました。医学はさらに進んで、次は自然治癒力を視野に入れるようになると、私は信じています。
統合医療のオピニオンリーダーであるアンドルー・ワイル博士は著書『癒す心、治る力』の中で、「われわれ人間は、種としての長い歴史の大部分を、近代医学も代替医学もなしに、そもそも医師という存在なしにやってきた。種の存在そのもののなかに治癒システムの存在が組み込まれているのである」と述べています。自然治癒力のことです。
また、こんなことも語っています。西洋医学はからだについてはある程度の成功を残したが、こころについてはリップサービス程度だ。いのちについては手つかずだ。
西洋医学はまだまだ発展途上。これからこころの領域、いのちの領域にまで足を踏み入れた医療を実現させないといけないのです。そのためには自然治癒力をもっと真剣に追い求めないといけません。 そして、自然治癒力を働かせるのに大切なことは信頼の三角形だとワイル博士は言っています。まずは治療法を患者さんが信じること。次に主治医もその治療法を信じること。主治医は代替療法など信じず抗がん剤をすすめるが、患者さんは抗がん剤よりももっとやさしい治療法を望んでいるとなると、信頼の三角形は成り立ちません。お互いが治療法を信じること。そして、主治医と患者さんは信頼し合っていること。これが信頼の三角形です。自然治癒力をベースにすれば、自ずと医療はいい方向に変わっていくのではないでしょうか。