マスクに限らず、こうしなければならないとかたくなになるのは避けた方がいい、と私は思っています。こころを柔らかにもつことの大切さは、江戸時代の大養生家である貝原益軒も佐藤一斎も言っています。中国の古典「菜根譚」でも、柔らかなこころをもった方がいいと説かれています。
私は40歳のときに、都立駒込病院に赴任しました。駒込病院が東京都のがんセンターとして船出するときでした。食道がんを専門とする外科医を求めているというので、私に白羽の矢が立ったのです。
全国から若い医師が集まってきました。当時は有楽町にあった東京都庁で辞令をもらうと、すぐに病院に向かいました。新しい建物が5月の青空にそびえたっていました。それを見た瞬間、この新しい病院でがんを征服しようという闘志がめらめらと湧いてきました。それはほかの医師たちも同じだったようです。病院全体にエネルギーが満ちていたのを覚えています。
外科の手術は、大学の教室によって違いがあります。ですから、ほかの大学や教室の出身者と一緒に手術をするのは抵抗があるものです。しかし、駒込病院では「がんを克服しよう」という共通の思いがありましたから、多少のやり方の違いなど気になりませんでした。大きな目標があれば、方法にはこだわらないものです。もし、医師の中に「これでないといけない」とかたくなな気持ちをもっている人がいたとしたら、チームワークは乱れるし、その医師も病院にいづらくなってしまったでしょう。
私も理想に燃えていました。リーダー的な立場にいましたから、いろいろなことでスタッフからどちらにするかと相談されることがありました。私の答えはだいたいの場合、「どっちでもいいよ」でした。患者さんを救うための選択なら真剣に考えますが、それ以外のことは、私にとっては右へ行こうが左を選ぼうがどうでも良かったのです。
ですから、ちょっとしたことで看護師がミスをしても、患者さんの身に被害が及ばないことであれば、私は一切怒りませんでした。看護師さんは、私のことを「仏の帯っちゃん」と呼んでくれました。
5年くらいたって、「仏の帯っちゃん」の本当の意味がわかりました。「仏」ではなくて「ほっとけ」だったのです。これには参りました。確かに、がん治療に関すること以外の質問に対しては、「そんなことはほっとけばいい」というのが私の態度でしたから、見事に的を射たネーミングだったと思います。
「ほっとけ」は、84歳になった今でも続いています。世の中、「これは譲れない」ということがあってもいいのですが、それほどたくさんあるわけではないでしょう。ひとつやふたつくらいにして、譲ることは譲るようにした方が、健康のためにも人間関係を円滑にするためにも必要だろうと思います。
「ほっとけ」とか「まあいいか」というと、いい加減な態度だと思われてしまいますが、養生法から見れば、柔らかなこころということになって、それくらいがちょうどいいのです。マスクも消毒も柔軟性をもって臨機応変に考えてみてもいいと思います。