vol. 146

緩和ケアこそ、ホリスティック医学が活躍できる領域

緩和ケアは生きるのをあきらめた人が入るところではない

 私の病院には緩和ケア病棟があります。緩和ケア病棟というと、治療法がなくなった末期のがんの患者さんが苦痛をとるために入るところだというイメージがあるかと思います。私はそうは思っていません。緩和ケアこそ、ホリスティック医学が生きてくると考えているのです。

 WHO(世界保健機関)では、緩和ケアを次のように定義しています。

「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するためのアプローチである」

 生命を脅かす疾患とはありますが、「末期がん」とも「治療がなくなった状態」とも書かれていません。身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題となれば、まさしくホリスティック医学の領域です。

 何もすることがないから生きることをあきらめて緩和ケア病棟に入るというのは大きな思い違いなのです。

帯津良一 緩和ケアと言われたら生をあきらめないといけないというイメージは、昔のホスピスからきているのだと思います。

 1996年、イギリスにスピリチュアル・ヒーリングの研修に行ったとき、ロンドンでホスピスについてのお話を聞きました。そのときに言われたのは、ホスピスは死を受容した人を受け入れるのだから、治療行為はしないということでした。その説明に、違和感をもったのを覚えています。

 治療法がないというのは、あくまでも西洋医学からの見方です。イギリスはホメオパシーがすごく盛んだし、アロマセラピーやフラワーエッセンス、スピリチュアル・ヒーリングなど、いくらでも代替療法があります。それらを駆使して、WHOの定義にあるように、患者さんのクオリティ・オブ・ライフを少しでも改善することに努めることこそ、緩和ケアの役割ではないでしょうか。

 日本でも緩和ケアが広がってきて、10年ほど前には、全国の臨床医が集まって緩和ケアのシンポジウムが開かれました。そのとき、私は司会を仰せつかったのですが、全国の緩和ケアを担当する医師たちが、これからの緩和ケアのあり方を熱く語っていました。

 どの医師も、「希望を持ち続ける緩和ケアを目指したい」と異口同音に頼もしいことを語ってくれました。私は司会をしながら、彼らの言葉に感動していました。

 緩和ケアですから何が何でも治すんだということではなく、希望を明日につなげるという考え方はちょうどいいと思います。私の盟友だったがんの心理療法の大家、カール・サイモントン博士(故人)が、私の病院の道場で講演をしてくださったとき、一人の患者さんが質問しました。

「私は死ぬのが怖くて仕方ありません。どうしたらいいでしょうか?」

 サイモントン博士はちょっと考えた後に、こう答えました。

「絶対にあきらめない気持ちをもちつつも、その一方ではいつでも死ねる覚悟をもってください」

 私は感心しながら聞いていました。患者さんは「そんなことできません」と泣きそうな顔で言っていましたが、それでも病室に帰ってからサイモントン博士の言葉を思い出したり、親しい患者さんと「どう思う?」と話し合う中で、死とどう向き合えばいいのか、自分なりの答えを出すのではないでしょうか。

 緩和ケアというのは、患者さんがあきらめない気持ちといつでも死ねるという覚悟をバランス良くもてる場所にならないといけないと思います。

病気でも健康でも一日一日を大切にていねいに生きる

 あきらめない気持ちといつでも死ねる覚悟は、がんであろうと健康であろうとだれもが意識していた方がいいでしょう。すべての人がいつかは死にます。緩和ケアに入る人は、死を考えざるを得ませんが、健康な人でもいつ死ぬかわからない中で生きているのです。

 大事なことは、どんな状態であっても一日一日を充実して生きることです。余命わずかと診断されても、投げやりにならずに一日を大切にていねいに生きることです。そのためにも、老いること、死ぬことを認めて日々を生きることが大切です。いくら健康であっても一日一日をぞんざいに過ごしてしまっては、いい人生にはなりません。

帯津良一 今日をしっかり生きて、今日が終われば明日はどんなふうに生きようかと考える。その繰り返しによって悔いのない人生が作り上げられるのではないでしょうか。

 緩和ケアへ入れば、死を意識した分、今日という一日が意味あるものになる可能性もあります。たとえ1ヵ月で亡くなろうとも、ぼんやりと生きた人の10年、20年よりも中身が濃くなることはいくらでもあります。長生きすることだけを望むのではなく、質の高い日々を過ごすにはどうしたらいいかを考えて毎日を生きることが重要だろう、と私は思っています。

 私の古くからの知り合いが食道がんと悪性リンパ腫を併発して、それも進行してしまって、かなり厳しい状態になりました。彼は、抗がん剤治療はしたくないので緩和ケアに入りたいと主治医に頼みました。それも私の病院の緩和ケアがいいとリクエストしました。

 主治医の先生が私に電話をくださいました。私は、引き受けますのですぐにこちらへ寄こしてくださいと言いました。しかし、寝た切りでとても移動できる状況ではないと言うのです。

 主治医はファックスで知り合いの状態を知らせてくれました。確かにとても厳しく、動かすことで病状が悪化することも考えられました。しかし、彼はどうしてもうちの病院へ来たいと望んでいます。それなら、何とかして実現させてあげたいものです。

 こういうときには、ソーシャルワーカーが頼りです。ソーシャルワーカーは、病気を抱えて困っている人たちをさまざまな側面からサポートするのが仕事で、彼らが骨を折ってくれたおかげで、数日後には知り合いは転院してきて、久しぶりに話をしました。

 病状は厳しいのですが、だからと言って、あきらめているわけではありません。できることから少しずつ始めていきたいと思っています。

 彼の残された時間がどれだけあるのか、私にもわかりません。しかし、長いとか短いは関係ありません。彼が今日一日をどう生きたかに注目しています。そして、今日をしっかりと生きれば、次は明日です。明日に希望をもって、また精いっぱい生きようと思ってくれれば治療は成功だと思っています。