今日が最後だと思って毎日を過ごしている私が、白隠さんの83歳を目標にするというのは、矛盾があると思われるでしょう。確かに矛盾ですが、今日死んでもまったく悔いがないのも本心だし、80歳を過ぎたころから、白隠さんに並ぶのが楽しみで仕方なくなったのも、また私の本心なのです。
白隠さんに親近感を感じると言いましたが、その理由として、白隠さんが呼吸法の大先輩だということがあります。私は調和道丹田呼吸法を長くやっています。調和道協会の三代目の会長も務めました。この呼吸法は、白隠さんの呼吸法の流れからくるものです。貝原益軒や佐藤一斎も呼吸法について書き遺しています。しかし、その重みは白隠さんが一番ではないでしょうか。
白隠さんは、静岡県にある松蔭寺というお寺の住職でした。たくさんの若いお坊さんたちが、彼のもとで修業をしていました。禅宗の修行ですからものすごく厳しくて、倒れたり、精神を病んだり、死んでしまう人もいました。白隠さんのお墓のまわりには、たくさんの若いお坊さんたちの墓があります。修行で亡なった方々ではないでしょうか。
白隠さんも若いころには、厳しい修行のために病気になって苦しんだことがあります。そのときに、「内観の法」という呼吸法で病気を克服しました。その経験から、若い僧たちにも、内観の法の指導をしました。この呼吸法は、中国の道教系の気功を取り入れたものだと思われます。
白隠さんは、病気になって命を落とすかもしれない若者たちに、一生懸命に内観の法を教えました。将来性のある若い僧たちの人生がかかっているのですから、真剣そのものだったでしょう。ただの健康法というわけにはいかないのです。
だからこそ、白隠さんの呼吸法には鬼気迫るものがあるのです。内観の法は、逆式呼吸法と言って、息を吐いたときにお腹をせり出しますが、白隠さんは、どれだけこの呼吸法をやればそんなになるのかと思われるような立派なお腹をしていたようです。
もうひとつ、私が白隠さんに親しみを感じるのは、虚空について言及しているからです。虚空というのはこの宇宙全体を包み込む無限の時空を言います。内観の法を習った若い修行僧は呼吸法に勤しみます。それを見て、白隠さんは呼吸法を一生懸命にやって健康になったところで意味はないと言い放ちます。生きながらにして虚空と一体になることが大事なのだと言うのです。
修行というと、宙に浮いたり、水の上を走ったりする特殊能力を得ることを目的とする者もいたでしょうが、そんなことは枝葉末節(しようまっせつ)に過ぎないと、白隠さんは厳しく言います。虚空の話こそ、白隠さんの真骨頂です。その白隠さんが亡くなった年齢に私も届いたということは、とてもうれしいことです。日々、今日が最後と思いつつも、目標をもつこと。矛盾とも思えるような縦糸と横糸が、思わぬときめきを生み出してくれます。次は貝原益軒の84歳がちらちらと視野に入ってきました。