帯津良一
vol. 139

病気を治すのは手段。治ったら何をするかを考える

患者さんとは生命場を高めるにはどうしたらいいかを話し合う

 新型コロナウイルスの感染者 もかなり少なくなりましたが、 「これで大丈夫」と安心できない人も多いかもしれません。第二 波がくるという不安が拭い去れないのだと思います。

 私は半世紀以上、がんの治療にかかわっています。数えきれないほどの患者さんを診てきましたが、治療法に振り回されて亡くなってしまう患者さんはたくさんいます。書籍やネットには、「これでがんが治った」という情報があふれています。患者さんは迷います。いいと思った治療を手あたり次第に試す人もいますが、そうなるともう負け戦です。 私は、必ず効く治療法はないと思ってくださいとお話しています。特効薬を探すのではなく、自分に合った治療法は何かを、自分で考えたり、主治医に相談したりして決めることが大切です。

 同時に、治すことばかりに意識を向けずに、生きること、死ぬこと、いのちについて考えてくださいと、私はアドバイスしています。

 新型コロナウイルスも同じだと思います。ワクチンだとか治療薬とか、そちらに目が向きがちですが、せっかくの機会ですので、もっと根本的なことを見つめてみるのもいいのではないでしょうか。

 私たちは、だれもが「生老病死」というお釈迦様の言う四苦を避けることはできません。4つ のステージを、だれもが体験してから、あちらの世界へ旅立って行きます。もし、四苦を忌み嫌うべきものだと考えれば、その人は苦痛の中で一生を過ごすことになります。

 がんになった人は、病というステージに立たされています。 そして、死というステージが目の前にちらつきます。しかし、それは決して特別なことではありません。自分だけが不幸なわけでもありません。運が悪かったわけでも、悪魔に魅入られたわけでもありません。だれもがいつかは体験することです。人は老いて病んで死ぬものだということを必然として受け入れ、今を見つめることが大切です。それが「養生」の基本だと私は思っています。

 しかし、がんという病気になれば、人生の大ピンチであることには違いありません。野球で言えば、ヒットを打たれればサヨナラ負けになるピッチャーのようなものです。結果的にはひとりで踏ん張るしかないのですが、グランドには8人の仲間がいることも忘れてはいけません。ベンチには、監督もコーチも応援してくれる控えのメンバーもいます。声を枯らして声援してくれている観客もいます。

 「自分だけ」と力んでしまうといい結果は出ないものです。ピンチであればあるほど、まわりを信じて、まわりから力をもらって、それを希望と勇気にして前へ進むことです。

 私は、がんの患者さんの相談に乗るときには、自分が監督とかコーチになったつもりで患者さんを観察し、状況をしっかりと把握して、もっとも適切なアドバイスができるように努めます。弱気になっているようだったら、「よしやるぞ」と思えるような言葉をかけないといけません。家族の方にも、どうサポートすればいいかを指示するのが、私の役割だと思っています。

 私はよく、患者さんやご家族と、戦略会議なるものを開きます。そのとき、治療法の話もしますが、もっとも力を入れてお話するのが養生のことです。養生法と健康法を混同している方が多いようですが、からだをいたわって病気にならないようにするのは、養生法でも「守りの養生」だと、私は言っています。大事なのは生命場を高めるための「攻めの養生」です。戦略会議では、生命場を高めるにはどうしたらいいかを、徹底的に話し合います。

がんが治ったら何をするか。人生の目的を決める

 がんに限らず、難病の患者さんは、どんな治療法がいいかということが一番のテーマになりがちです。治療法探しに躍起になっている方もたくさんいます。そういう人に、私はこんな質問をすることがあります。

 「がんを治すことはとても大切なことです。でも、がんが治ったら何をするのか、決めていますか?」

 ほとんどの人がきょとんとした顔をします。治すことだけに一生懸命で治ったらどうしようなんて考えていなかったと言います。しかし、冷静に考えれば、がんを治すのは手段であって、がんを治して何をするかという目的がその先にあるはずです。ただ長生きしたいからという人もいるかもしれませんが、なぜ長生きしたいのかという理由があるはずです。

 私の尊敬する江戸時代の名僧・白隠さんが弟子たちに言いました。

 「健康で長生きすることだけを目的としているなら、そんなのはタヌキが洞穴で昼寝をしているのと同じだ」

 もっと生きる目的、志をもてと言うわけです。私も同じ気持ちです。

 しかし、だからと言って、高尚な目的をもてとは言いません。身近なことでいいと思います。

 「娘の花嫁姿を見たい」

 「孫を抱っこしたい」

 「長く連れ添った妻と海外旅行に行きたい」

 立派な生きる目的です。

 がんが治ることをゴールにしないことです。あくまでも治るのは通過点であって、自分のゴールは先にあると決めます。

 ある患者さんは、末期がんから生還して、毎日のように大好きなゴルフを楽しんでいました。ゴルフを楽しむのも人生の目的としてあってもいいと思います。その患者さんは、せっかくがんが治ったのにゴルフ三昧でいいのだろうかと考えたようです。せっかくもらったいのちなのだから、自分のためだけに使うのではなく、少しは世の中の役に立ちたいと考えました。

 それで始めたのが無農薬・無肥料の農業でした。安全で安心な食べ物を提供したいと、やったことのない農業にチャレンジして、今でも農地をどんどん増やしているそうです。がんになる前よりもずっと充実していると話してくれました。確かに、その方の目はキラキラ輝いています。

 作家の五木寛之さんが『養生の実技』(角川書店)という著書の中に、「あす死ぬとわかっていてもするのが養生である」と書いています。死は終わりで、少しでも先に延ばしたほうがいいということではなく、死んでもいのちは残るのだから、ずっとエネルギーを高め続ける気持ちを忘れてはいけないということです。死ぬときこそ、生命場のエネルギーを最高にして、その勢いで死後の世界へ飛び込んで行くのです。そういう気持ちをもつことができると、結果的に、がんがあっても充実した毎日を過ごすことができたり、がんが消えたりもするのです。