コロナ騒ぎでストレスをためている方も少なくないと思います。コロナに限らず、現代は何かとストレスが多くて、ストレスなんぞなければいいのにと嘆いている人もいることでしょう。
しかし、いくら嘆いてもストレスはなくなりません。生きている限りついて回るものです。作家の五木寛之さんは「ストレスは人間の宿命である」と言っています。名言だと思います。人生にストレスは付き物。一方的に悪いものだと考えてしまうと生きるのがつらくなってしまいます。
ストレスは必ずしも悪いものではありません。ストレスによる緊張感が脳を刺激して、認知能力も高まります。自然治癒力も高まるはずです。
大企業を定年退職して、たくさんの退職金をもらったので働く必要もない。これからは好きなことをやってのんびり生きていくのだと喜んでいた人が、体調を崩してしまうことはよくあります。仕事を辞めて緊張感がほどけてしまったのだろうと思います。ストレスが一気に減ってしまったため、自律神経のバランスが崩れてしまい、免疫力にも悪影響が及んだのでしょう。
ストレスというと、精神科医の神谷美恵子さんの言葉が思い浮かびます。
「ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。したがって生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。ただしその際、時間は未来にむかって開かれていなくてはならない」(『生きがいについて』みすず書房)
つまり、困難があった方が生きている実感があるというのです。ストレスがあるからこそ、人は成長することができます。しかし、いくらストレスを感じていても、時間は未来に向かって開かれてないといけないというのも意味深さを感じます。
ストレスは悪いものだと決めつけていると、時間は未来に向かって開かれません。未来が閉じられてしまって絶望の淵に突き落とされてしまいます。
私のところに来られる患者さんは、ほとんどが重症のがんですから、みなさん大変なストレスを抱えています。未来に向かって開かれている時間などありません。だから私は、がんを治すことばかりに目を向けず、がんが治って何をするかを考えてはどうだろうかとお話するのです。がんという大ピンチの中にいるわけですが、それでも未来への時間をこじ開けていくたくましさが必要なのです。
私も日々、ストレスとともに生きています。重症の患者さんの診察が続きますから息が抜けません。少しでも希望をもって治療に取り組めるようにと患者さんとは真剣に向き合っています。診療だけではありません。取材や打ち合わせが重なったり、人間関係で面倒なことがあると、ストレスは高まります。
それでも、私はいつごろからか、ストレスを歓迎できるようになりました。
「忙しかったりストレスがあった方が夜の晩酌がおいしいではないか」
そう気づいたのです。たくさんの患者さんを診察して、そのあとに取材があって、クタクタになって病院の食堂へ行きます。私の大好きな料理がテーブルに並んでいます。それを見ながら、まずはビールを一杯。ひと口ふた口飲むと生き返ります。喜びが体中にあふれます。今日もがんばったという満足感に浸れます。逆に、あまり忙しくないとき、ストレスもなく一日が終わったあとのビールはあまりおいしくないのです。