帯津良一
vol. 142

病気が治って喜んでいるようじゃダメだ。虚空と一体になれ

「虚空」は何千という宇宙を包み込む偉大なる空間

 「虚空」に関する本が出ました。

 

 これまで虚空についてはあちこちで書いたり話したりはしてきましたが、1冊まるごと虚空というのは初めてのことです。

 

 虚空のことは、患者さんからもよく聞かれます。どうも、これまでの私の説明ではわかりにくいようです。

 

 虚空というのは、仏教用語で「何も妨げるものがなく、すべてがそろっている空間」を言います。私たちが住んでいる地球は太陽系の一部であり、太陽系は銀河系の一部で、さらに宇宙は大きく広がっています。想像を絶する広さです。その無限とも思える宇宙も一つではないというのが定説になっていて、私たちがいる宇宙のほかに、何千という宇宙があると言うのです。そのすべての宇宙を包み込んでいるのが虚空です。ある科学者は、お湯が沸騰したときの泡のように、宇宙が現れては消えていくのだと説明しています。そんな感じで、虚空という空間の中で、次々と宇宙ができては消えていくのではないでしょうか。

 

 虚空は私たちの「いのち」の故郷です。虚空からたった一人で地球にやって来て、地球で何十年かを過ごしたあと、たった一人で 虚空へ帰っていきます。

 

 私たちのいのちは、虚空の一部で、常に虚空とつながっています。私たちは虚空に抱かれ、虚空に守られているのです。

 

 私が虚空に興味をもったのは、調和道丹田呼吸法がきっかけでした。食道がんを専門とする外科医として都立病院で働いていたころのことです。当時、八光流柔術を習っていて、少しでも強くなりたいとがんばっていました。あるとき、呼吸が大切だと気づき、呼吸法の道場に通い始めたのです。二代目の会長だった村木弘昌先生の講話の中に、白はく隠いん禅師のことがよく出てきました。それは当然のことで、そもそも調和道丹田呼吸法のルーツをたどると、白隠禅師にたどり着くのです。

 

 白隠禅師は、修行のし過ぎで、禅病という一種のうつ病になりました。何をやっても治りません。そんなときに、仙人と言われる人から治療法を教わります。それが呼吸法であり、イメージ療法だったのです。その方法によって、白隠禅師は元気になりました。ところが、今度は弟子たちが次々に禅病で動けなくなってしまいます。中には亡くなってしまった弟子もいました。白隠禅師は弟子たちに、仙人から伝授された治療法を教えます。そのおかげで、弟子たちも健康を取り戻しました。

 

 そのときに白隠禅師が弟子に言った言葉がすごいのです。お前たちは病気が治ったと喜んでいるが、病気が治って満足しているようではダメだと言うのです。どんなすごい仙人でも、いつかは必ず死ぬ。元気で長生きしているだけでは、古だぬきが穴の中で居眠りをしているようなものだ。そんなことではいけない。もっと高い志をもって、「生きながらにして虚空と一体になれ」と激げきを飛ばしたのです。

 

 私のところへはたくさんのがんの患者さんがお越しになります。ほとんどの人は、どうしたらがんが治るだろうかと一生懸命になります。もちろん、私もそのお手伝いをするわけですが、白隠禅師流に言えば、がんを治すことばかりに必死になるのではなく、もっとその先を見ないといけません。虚空と一体になれとは言いませんが、がんが治ったら何をするのかを考え、がん治療をするということです。がんを治すことは目的ではないはずです。何かをしたいからがんを治すわけです。そのことを忘れてはいけないのです。

 私は、白隠禅師の「虚空と一体になれ」という言葉に衝撃を受けました。以来、虚空が私の頭の中に住みつきました。虚空と一体になることが、私の大きな目標となったのです。

苦しみから脱するために延命十句観音経を広めた

 虚空と一体になるために、白隠禅師は自分自身にも弟子たちにも厳しい修行を課しました。しかし、白隠禅師は民衆に視線を向けることも忘れませんでした。禅の修行と言うと、どうしてもお寺にこもって坐禅をするイメージがあります。

 白隠禅師はそれで良しとしませんでした。坐禅を組んで修行をすることで自分のいのちのエネルギーは高まるかもしれませんが、お寺の外へ出ればたくさんの人たちが悩みを抱えて生きています。そういう人たちを救うために、自分は修行をしているのだと考えていたように思います。

 修行することは目的ではなかったのです。一人でも多くの人が心安らかに生きられるような世の中にしたいという大きな目的があって、厳しい修行を続けました。

 白隠禅師は、一般の人たちでも簡単にできるような修行はないかと考え、「延命十句観音経」という短いお経を広めることにしました。このお経を唱えれば、観音さまが助けてくれますよと、白隠禅師は説きました。観音さまは慈悲の仏さまです。観音というのは、すべての音を観じる、つまりどんな小さな願いでも受け入れてくれるという意味です。

 白隠禅師が活躍した時期は、大地震と大津波が太平洋岸を襲い、富士山が噴火(宝永の大噴火)し、江戸にも火山灰が降り注ぎ、太陽が見えなくなって昼間でもろうそくが必要だったという大変な状況でした。白隠禅師の死後、天明の大飢饉が起こります。食糧がなくなり、疫病が広がり、民衆は地獄の苦しみを味わいます。

帯津良一 その苦しみから救われるためのひとつの手段として、白隠禅師は延命十句観音経を残していってくれたのです。

 私は、観音さまというのは虚空のことではないかと思います。私たちの故郷である虚空は慈悲のエネルギーであふれています。すべての人を幸せにしたいという思いで満ち満ちています。延命十句観音経を唱えることで、虚空と私たちのパイプがより太くなり、たくさんの慈悲のエネルギーが流れ込みます。

 心が折れそうになっていても、虚空からのエネルギーが増えれば、前へ進む勇気をもらうことができます。困難を乗り切るためのヒントを見つけたり、救ってくれる人が現れたりします。マイナスの出来事でもそこにプラスを見出すような気づきを得ることができます。

 不安定な時代です。過去の偉大な人の知恵を参考に、このピンチを乗り越えていただければと願って書いたものが、『汝のこころを虚空に繋げ』(風雲舎)という本です。ぜひお読みいただければと思います。