vol. 143

これからは自然治癒力をベースにした医療が必要になる

古代ギリシャの時代から言われていた自然治癒力

 自然治癒力についてお話します。これまであまり表に出なかったものなので、最近の言葉だと思っている方も多いかもしれません。しかし、すでに古代ギリシャの時代に、自然治癒力を語る医者がいたのです。2000数百年も前、有名な哲学者・ソクラテスが活躍していたころです。ヒポクラテスです。

 ヒポクラテスは「医学の父」とか「医聖」と呼ばれています。と言うのも、歴史上で名前がわかっているもっとも古い医者だからです。

 ヒポクラテスは超自然的なものを排した科学的な言葉で医学を語りました。しかし、その一方で、病気になったり治ったりする過程では、科学では説明できない要素が働いていることも理解していました。彼は、病が治ったり癒えたりするのは、だれもがもっているネイチャーというものがあるからだと言っています。ネイチャーというのは自然治癒力のことです。

 ヒポクラテスは科学を重視しました。同時に、科学の枠を超えたこころの大切さも言っています。そして、彼のすごさはスピリット、つまりいのちについても目を向けているところです。まさにホリスティック医学の元祖とも言える人だと思います。古代ギリシャの時代に、医の本質を見抜いていたわけですから驚きとしか言いようがありません。

 ローマ時代にはガレノスという名医がいました。自然治癒力という言葉はこの時代に登場しますが、私はガレノスが言ったのではないかと考えています。彼はヒポクラテスの医学を継承し、近代西洋医学の基礎を築きました。解剖学、生理学を専門としていましたが、彼の生命に対する根本的な考え方は「生気論」として語り継がれています。生気論は、生き物は機械のように部品を組み合わせただけのものではないという考え方です。人間で言うなら、臓器の集合体ではないということです。中国で言う氣(ガレノスは「プネウマ」という言葉を使っています)によって生かされているとガレノスは考えました。生物は何らかの目的をもって創られたとも言っています。そんな生命哲学をもった医者ですから、自然治癒力についても当たり前のようにとらえていたはずです。

 この時代は、科学的に肉体を分析することもしましたが、より重視されたのは、いのちの根底にある自然治癒力でした。

 ところが、1628年にイギリス人医師のウイリアム・ハーベイの血液循環説が登場し、風向きが変わります。彼は、心臓から出た血液が全身を巡り再び心臓に返ってくる、この循環が生命の素であると唱えました。多くの医学者がこの説に賛同し、プネウマなんて不可思議なものを信じるのは無知を隠蔽するための陳腐なごまかしだと、ヒポクラテスやガレノスの考えを非難し、自然治癒力といった得体の知れないものは排除しようとしました。

 以来400年近く自然治癒力は医学の表舞台から姿を消しました。大学の医学部でも自然治癒力については習いません。もっとも、正体がわからないのですから、教えようがないのかもしれませんが。

だれもが身近に経験している自然治癒力を尊重する

 表舞台から姿を消した自然治癒力ですが、完全に消え去ったわけではありませんでした。なぜなら、だれもが自然治癒力の存在を身近に感じているからです。たとえば転んで擦り傷をしたとします。消毒くらいはするでしょうが、だいたい放っておけば治ってしまいます。石や茶碗は割れたり欠けたりしたらもうもとには戻らないのに、生物の傷はなぜ治るのか。自然治癒力があるからです。だれもが自然治癒力の恩恵を被っているのです。

 特に、私たち外科医は自然治癒力がなければ成り立たない職業です。もっと自然治癒力に敬意をもってもいいと思うのですが、自分の技術だけで病気を治しているように勘違いしている方がたくさんいるようです。

 私は食道がんを専門とする外科医でした。食道がんの手術は大変です。胸を開けて病巣部を切除したら、胃を持ち上げてきて残った食道とつなぎます。食べたものが漏れたら大変ですから慎重に縫い合わせます。

 傷口を縫って手術は終わります。そこまでが外科医の仕事です。あとは自然治癒力が傷口をふさいでくれます。私は手術をするたびに自然治癒力のすごさを感じ、感謝したものです。

 自然治癒力と免疫力を混同している方がけっこういます。免疫力はリンパ球などによって自己と非自己を見分けて、非自己なら排除する。あくまでも肉体レベルの働きで、自然治癒力の一部と考えていいのではないでしょうか。

 私は、生命場のもつ特性や潜在能力を自然治癒力だと考えています。人間のからだには、氣とかプネウマといった目に見えないエネルギーが詰まっていて場を作り上げています。それが生命場です。

 生命場は、免疫力やDNAの修復能力をコントロールして体内の秩序を保とうとしています。そして、乱れそうになったり、乱れてしまったら、体内の環境や外界からの影響を総合的に判断して回復しようとする。それが自然治癒力ではないでしょうか。

 新型コロナウイルスの騒ぎで多くの人が免疫力の大切さを知りました。医学はさらに進んで、次は自然治癒力を視野に入れるようになると、私は信じています。

 統合医療のオピニオンリーダーであるアンドルー・ワイル博士は著書『癒す心、治る力』の中で、「われわれ人間は、種としての長い歴史の大部分を、近代医学も代替医学もなしに、そもそも医師という存在なしにやってきた。種の存在そのもののなかに治癒システムの存在が組み込まれているのである」と述べています。自然治癒力のことです。

 また、こんなことも語っています。西洋医学はからだについてはある程度の成功を残したが、こころについてはリップサービス程度だ。いのちについては手つかずだ。

 西洋医学はまだまだ発展途上。これからこころの領域、いのちの領域にまで足を踏み入れた医療を実現させないといけないのです。そのためには自然治癒力をもっと真剣に追い求めないといけません。 そして、自然治癒力を働かせるのに大切なことは信頼の三角形だとワイル博士は言っています。まずは治療法を患者さんが信じること。次に主治医もその治療法を信じること。主治医は代替療法など信じず抗がん剤をすすめるが、患者さんは抗がん剤よりももっとやさしい治療法を望んでいるとなると、信頼の三角形は成り立ちません。お互いが治療法を信じること。そして、主治医と患者さんは信頼し合っていること。これが信頼の三角形です。自然治癒力をベースにすれば、自ずと医療はいい方向に変わっていくのではないでしょうか。