vol. 144

こうでないといけないではなく柔らかなこころをもつ

呼吸法の観点から見てもマスクは免疫力を下げる

 今年はコロナの1年になりそうです。それでも、町中に人が増えてきて、少しは活気が戻ってきたかもしれません。みなさん、マスクをして感染しないよう、感染させないように用心しています。私の病院でも、川越では来院される方は玄関で検温と手の消毒をしてから院内に入ります。重症のがんの患者さんがたくさん入院していますので、万一、感染者が出たら大変だということで、お願しています。池袋のクリニックは、ホテルの地下ですので、ホテルに入るときに検温、消毒をしてからお越しになります。

 そこまでやる必要があるのかと思う部分もありますが、念には念を入れて予防するのも、時期的には大切なのかもしれません。

 と言っても、私はどうしてもマスクは好きになれません。人が集まる場所ではしますが、なるべくならはずしていたいと思っています。マスクをしているとフットワークが悪くなります。ちょっと出かけようとすると、病院のスタッフから「マスクをもちましたか?」と言われ気勢がそがれてしまいます。マスクをしないと入れないお店もあって、外へ出る楽しみが減ってしまいました。

 こうした気持ちの問題もそうですが、呼吸法という観点から見ても、マスクをしていると免疫力が低下してしまう、と私は考えています。免疫力と呼吸はとても密接な関係があります。深くて長い呼吸は、自律神経のうちの副交感神経を優位にします。副交感神経は免疫のコントロールという面では重要な働きをしています。リンパ球の働きを活性化させて、免疫力をアップさせる作用があるのです。特に吐く息が大切で、息を深く吐くことで免疫力は高まります。

 マスクをしているとどうでしょうか。浅くて短い呼吸になっている方がほとんどでしょう。浅くて短い呼吸は交感神経を優位にします。交感神経が優位になると緊張モードに入りますからちょっとしたことでイライラしたり、怒りを感じやすくなってストレスになりますので、免疫力の低下につながります。

 四六時中マスクをしている必要はありません。電車の中でマスクをしないのは、はばかれますが、家から駅まで、あるいは駅から家に帰るときには、人通りがあまりなければ、マスクを外してもいいのではないでしょうか。なるべく深い呼吸を意識しながら歩くというのはストレス解消にいいと思います。家にいるときまでマスクをしている方はいないと思います。お風呂へ入っているときやベッドに入ったときには、深く長く息を吐く呼吸を意識してください。免疫力を高める助けになります。

 マスクのストレスから逃れるために私もあれこれ考えました。マスクは、ウイルスを防ぐことはできません。小さなウイルスから見れば、マスクは穴だらけ。自由に出たり入ったりすることができます。マスクで防げるのは、話をしたり、咳やくしゃみをしたときの飛沫です。飛沫に含まれるウイルスでの感染を防ぐのがマスクの役割と言ってもいいでしょう。それなら、口だけ覆って鼻は出してもいいのではないかというのが私のアイデアです。呼吸は鼻でしますから、これならマスクをしていても邪魔にはなりません。状況を見ながら、上手に工夫をして、なるべくストレスにならないように、マスクとは付き合っていくのがいいのではないでしょうか。

「仏の帯っちゃん」、実は「ほっとけの帯っちゃん」

 マスクに限らず、こうしなければならないとかたくなになるのは避けた方がいい、と私は思っています。こころを柔らかにもつことの大切さは、江戸時代の大養生家である貝原益軒も佐藤一斎も言っています。中国の古典「菜根譚」でも、柔らかなこころをもった方がいいと説かれています。

 私は40歳のときに、都立駒込病院に赴任しました。駒込病院が東京都のがんセンターとして船出するときでした。食道がんを専門とする外科医を求めているというので、私に白羽の矢が立ったのです。

 全国から若い医師が集まってきました。当時は有楽町にあった東京都庁で辞令をもらうと、すぐに病院に向かいました。新しい建物が5月の青空にそびえたっていました。それを見た瞬間、この新しい病院でがんを征服しようという闘志がめらめらと湧いてきました。それはほかの医師たちも同じだったようです。病院全体にエネルギーが満ちていたのを覚えています。

 外科の手術は、大学の教室によって違いがあります。ですから、ほかの大学や教室の出身者と一緒に手術をするのは抵抗があるものです。しかし、駒込病院では「がんを克服しよう」という共通の思いがありましたから、多少のやり方の違いなど気になりませんでした。大きな目標があれば、方法にはこだわらないものです。もし、医師の中に「これでないといけない」とかたくなな気持ちをもっている人がいたとしたら、チームワークは乱れるし、その医師も病院にいづらくなってしまったでしょう。

帯津良一 私も理想に燃えていました。リーダー的な立場にいましたから、いろいろなことでスタッフからどちらにするかと相談されることがありました。私の答えはだいたいの場合、「どっちでもいいよ」でした。患者さんを救うための選択なら真剣に考えますが、それ以外のことは、私にとっては右へ行こうが左を選ぼうがどうでも良かったのです。

 ですから、ちょっとしたことで看護師がミスをしても、患者さんの身に被害が及ばないことであれば、私は一切怒りませんでした。看護師さんは、私のことを「仏の帯っちゃん」と呼んでくれました。

 5年くらいたって、「仏の帯っちゃん」の本当の意味がわかりました。「仏」ではなくて「ほっとけ」だったのです。これには参りました。確かに、がん治療に関すること以外の質問に対しては、「そんなことはほっとけばいい」というのが私の態度でしたから、見事に的を射たネーミングだったと思います。

 「ほっとけ」は、84歳になった今でも続いています。世の中、「これは譲れない」ということがあってもいいのですが、それほどたくさんあるわけではないでしょう。ひとつやふたつくらいにして、譲ることは譲るようにした方が、健康のためにも人間関係を円滑にするためにも必要だろうと思います。

 「ほっとけ」とか「まあいいか」というと、いい加減な態度だと思われてしまいますが、養生法から見れば、柔らかなこころということになって、それくらいがちょうどいいのです。マスクも消毒も柔軟性をもって臨機応変に考えてみてもいいと思います。