vol. 145

目先のことにとらわれず、虚空に思いを馳せて生きる

病気が治って喜ぶのではなくもっと高い志をもて

 2020年は新型コロナウイルス一色の一年でした。騒ぎ過ぎだという感想は今も同じです。テレビでは毎日のように「今日の感染者数は・・・」という報道。うんざりします。

 こういうときこそ、もっと壮大な世界に目を向けることが大切です。

 8月に『汝のこころを虚空に繋げ』(風雲舎)という本を出しました。延命十句観音経というお経と白隠さんと虚空のことを書いたものです。白隠さんは、江戸時代の名僧で、臨済宗中興の祖と言われています。

帯津良一 都立病院に勤めていたころ、調和道丹田呼吸法を習い始めました。当時の会長である村木弘昌先生の講話に白隠さんがよく出てきました。と言うのも、調和道丹田呼吸法は「内観の法」という白隠さんの呼吸法を源流としていたからです。

 厳しい修行に明け暮れていた白隠さん、禅病という今で言えばうつ病のような症状に悩まされました。何をやっても良くなりません。そんなときに、ある仙人から呼吸法を伝授され、健康を取り戻しました。しばらくして、今度は弟子たちが禅病でバタバタと倒れてしまいました。白隠さんは、「これをやれば必ず良くなる」と内観の法を教えました。弟子たちは期待通りに回復し、大喜びしました。

 そのときに、白隠さんは弟子たちに言いました。

「元気になったからと喜んでいるようではダメだ。修行はこれからだ。健康になって長生きしてもいつかは死ぬ。800歳まで生きたという伝説の仙人もいるが、今はもう死んでいないではないか。大事なのは、生きながらにして虚空と一体になることだ」

 病気にならないこと、病気から回復すること、長生きすること。これらは生きる目的ではありません。志を達成する手段として健康や長生きを求めるのはいいと思いますが、志もなくだらだらと長生きしているのは、白隠さんに言わせれば「古だぬきが洞くつで居眠りをしているようなもの」です。

 ある患者さんから「今の自分があるのは先生のおかげです」といきなりお礼を言われました。どういうことだろうと話を聞くと、がんを治そうと必死になっていたころ、ある会合で私が「がんが治ったらどうするの?」と質問したようなのです。私はすっかり忘れていました。がんばっている彼を励まそうとして言ったことだと思いますが、その言葉が彼には響いたようなのです。治ろう治ろうとするだけではなくて、人生全部を視野に入れて、病気にどう対処するのかを考えないといけないと思ったと言うことでした。病気が治って普通の生活に戻っても仕方ありません。病気をきっかけにして人生の目的を考え、それに向かって突き進んでいくような、生き方の変容が必要なのではないでしょうか。

 新型コロナウイルスでも、コロナが広がっていない1年ほど前に戻るのがいいと思っている人も多いようですが、本当にそうでしょうか。コロナをきっかけにして生き方や考え方を変えていく。そして、一歩でも二歩でも自分の生きる目的に近づく。そんなふうにとらえることが虚空と一体になるための第一歩なのだ、と私は思います。

虚空には無限のエネルギーが満ちている

 宇宙はひとつだけではないと宇宙物理学では言われています。水を沸騰させたときにブクブクと出てくる泡のように、たくさんの宇宙が現れては消えていくのだそうです。それを包み込んでいるのが虚空です。

 虚空はいのちの故郷で、私たちはたった一人で虚空からやって来て、虚空に帰っていく孤独な旅人です。私たちは虚空の一部です。常に虚空とつながっていて、虚空からエネルギーをもらって生きていますから、だれもがとてつもない力を秘めています。

 延命十句観音経は、白隠さんが作ったものではないようですが(白隠さんが作ったという説もあります)、白隠さんはこのお経を唱えることで虚空とのつながりが深まると考えたのでしょう。民衆に、延命十句観音経を唱えていれば奇跡的なことが起こると説き、日本中に延命十句観音経のブームを起こしました。

『延命十句観音経霊験記』という本も著しました。そこにはさまざまな霊験が記されています。翌日は死刑が執行される罪人がいました。夢に現れた仏様から「延命十句観音経を1000回唱えれば死刑を免れる」とのお告げを受けました。彼は必死で唱えました。牢屋から刑場へ行く途中も唱え続け、刑が執行される直前で1000回に達しました。目隠しされ、刀が振り下ろされました。すると、何と刀が真っ二つに折れてしまいました。

帯津良一 とても治らないだろうと思われていた重病の患者さんでしたが、家族が一晩中、延命十句観音経を唱えたところ、奇跡的に回復したという話も出ています。

 この本を読んでいると、わずか十句の短いお経ですが、その効力には驚かされます。ところが、たくさんの奇跡を紹介したあと、白隠さんは最後にこんなことを言うのです。

 霊験はいくらでもあるけれども、そんなのは大したことではない。このお経を唱えることで臍下丹田が爆発し、虚空と一体になることが大事なのだ。

 呼吸法のときと同じです。

 私たちは、目先のことにとらわれてしまって、本当に大切なことが見えなくなることが多々あります。病気を乗り越えるという言い方がありますが、病気は乗り越えるのではなく、人生の一部として受け入れて、ともに生きていくものです。死も同じです。だれもが必ず死にます。死を忌み嫌ったり遠ざけようとするのではなく、懐かしい虚空への旅立ちとして、ある年齢になったら楽しみにするくらいがいいのではないでしょうか。

 私は延命十句観音経を20年以上、1回だけ、心を込めて大きな声で唱えています。これから新しい一日が始まるとすがすがしい気分になることができます。

 このお経は、虚空への宣言だと思って唱えています。自分はこう生きるんだということを虚空に伝えます。そうすると、虚空から応援のエネルギーが届くのではないでしょうか。

 悩んでいることがあったら、虚空に助けを求めるのもいいですが、それだけではなく、自分が何をしたいのかをきちんと伝えてみてください。虚空には無限の力があって、必ずいい方向に導いてくれます。