私の病院には緩和ケア病棟があります。緩和ケア病棟というと、治療法がなくなった末期のがんの患者さんが苦痛をとるために入るところだというイメージがあるかと思います。私はそうは思っていません。緩和ケアこそ、ホリスティック医学が生きてくると考えているのです。
WHO(世界保健機関)では、緩和ケアを次のように定義しています。
「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するためのアプローチである」
生命を脅かす疾患とはありますが、「末期がん」とも「治療がなくなった状態」とも書かれていません。身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題となれば、まさしくホリスティック医学の領域です。
何もすることがないから生きることをあきらめて緩和ケア病棟に入るというのは大きな思い違いなのです。
緩和ケアと言われたら生をあきらめないといけないというイメージは、昔のホスピスからきているのだと思います。
1996年、イギリスにスピリチュアル・ヒーリングの研修に行ったとき、ロンドンでホスピスについてのお話を聞きました。そのときに言われたのは、ホスピスは死を受容した人を受け入れるのだから、治療行為はしないということでした。その説明に、違和感をもったのを覚えています。
治療法がないというのは、あくまでも西洋医学からの見方です。イギリスはホメオパシーがすごく盛んだし、アロマセラピーやフラワーエッセンス、スピリチュアル・ヒーリングなど、いくらでも代替療法があります。それらを駆使して、WHOの定義にあるように、患者さんのクオリティ・オブ・ライフを少しでも改善することに努めることこそ、緩和ケアの役割ではないでしょうか。
日本でも緩和ケアが広がってきて、10年ほど前には、全国の臨床医が集まって緩和ケアのシンポジウムが開かれました。そのとき、私は司会を仰せつかったのですが、全国の緩和ケアを担当する医師たちが、これからの緩和ケアのあり方を熱く語っていました。
どの医師も、「希望を持ち続ける緩和ケアを目指したい」と異口同音に頼もしいことを語ってくれました。私は司会をしながら、彼らの言葉に感動していました。
緩和ケアですから何が何でも治すんだということではなく、希望を明日につなげるという考え方はちょうどいいと思います。私の盟友だったがんの心理療法の大家、カール・サイモントン博士(故人)が、私の病院の道場で講演をしてくださったとき、一人の患者さんが質問しました。
「私は死ぬのが怖くて仕方ありません。どうしたらいいでしょうか?」
サイモントン博士はちょっと考えた後に、こう答えました。
「絶対にあきらめない気持ちをもちつつも、その一方ではいつでも死ねる覚悟をもってください」
私は感心しながら聞いていました。患者さんは「そんなことできません」と泣きそうな顔で言っていましたが、それでも病室に帰ってからサイモントン博士の言葉を思い出したり、親しい患者さんと「どう思う?」と話し合う中で、死とどう向き合えばいいのか、自分なりの答えを出すのではないでしょうか。
緩和ケアというのは、患者さんがあきらめない気持ちといつでも死ねるという覚悟をバランス良くもてる場所にならないといけないと思います。