vol. 149

自分自身の死と向き合い、死後の世界に思いを馳せる

新型コロナウイルスがきっかけで死を考える人が増えてきた

 新型コロナウイルスの騒ぎはどうなるのか、なかなか先が見えません。ワクチンを頼りにしていた方もいるでしょうが、あちこちで副反応の話が出てきて、ワクチンができたからと言って安心できるものでもないという風潮になっています。

 ワクチンは、ジェンナーの種痘法に始まり、感染症の予防や治療に大きな役割を果たしてきました。人類の英知でもあります。しかし、新型コロナウイルスに対してはどうなのか、やってみないとわからないという状況ではあるかと思います。

 私のまわりでは、感染したらどうしようという不安でいっぱいの人がたくさんいます。不安や恐怖は自律神経のバランスを狂わせたり免疫力をダウンさせて、普段ならかからないような病気になることもあります。この不安を何とかしないといけない、と私は思ってきました。ワクチンのウイルスに対する効果は何とも言えませんが、不安を解消するには役に立つと思っています。

 まず人々の不安を解消し、それからウイルス対策をゆっくりと考えるのもひとつの手ではないでしょうか。

 新型コロナウイルスは、感染者を増やすばかりではなく、経済に大きなダメージを与えたり、人と人とのつながりを断ち切ったり、マイナスの作用をたくさん引き起こしています。

 その一方で、多くの人が「死」について考えるきっかけを作ってくれるという面もあります。これまでは、多くの人が、がんにでもならなければ死について真剣に考えることはなかったはずです。いつまでも生きられるような錯覚をもっていました。

 日本では新型コロナウイルスでの死亡者は少ないですが、ニュースを見ているとアメリカはじめほかの国ではたくさんの方が亡くなっています。昨日まで元気だった人が突然亡くなってしまうことが、これまで以上に起こってきているのです。ひょっとしたら自分も死ぬかもしれない、と他人事ではなく病や死をとらえる人が増えてきました。

 死を考えずに生きたいと思っている人には苦痛だろうと思います。しかし、死はだれにでも訪れます。コロナ禍によって、死を考えることができるようになったことで、これからの生き方についても大きな変化が起こってくるはずです。

 死を自分事として考えることはさみしいことでもかなしいことでもありません。逆に、私は希望につながると思っています。希望というのは、常にいのちのエネルギーを高めていくことです。そして、いのちのエネルギーを高めるのは、死をもって終わるわけではありません。死後も続きます。死後のことはだれにもわかりません。でも、私は死んだあともいのちのエネルギーは生き続けていて、さまざまな経験を通して、どんどん高まっていくと信じています。

 死んだらすべてが終わると考えるのもいいとは思いますが、もし死後の世界があったとしたら戸惑ってしまうのではないでしょうか。死んでも終わりではないと思っていれば、あってもなくても対応はできます。

 私の病院は末期のがん患者さんもたくさん入院されています。死のことは折に触れてお話しすることにしています。私の思い描いている死後の世界についてもお話します。みなさん、熱心に聞いてくださいます。そして、死をしっかりと見つめ自分なりの死後の世界をイメージするようになります。死に対する不安や恐怖にとらわれることも少なくなります。その分、治療効果も高くなるのです。

医学生のころ、解剖の実習で人生のかなしみを感じた

 私はがん治療の現場で60年近く働いています。常に死がかたわらにありました。

 死を意識したのは、医者になる前、解剖の実習で60歳くらいの中肉中背の女性のご遺体と対面したときでした。そのときのことは鮮明に覚えています。

 静かに横たわる女性を見て私が感じたのは、「この方はどんな一生を過ごしたのだろう」ということでした。

 森鴎外の小説に『鴈』(がん)という作品があります。東大医学部の学生が主人公で、彼はよく東大の近所を散歩していました。いつも一軒のしもた屋の前を通ります。1階は扉も窓も閉まっています。2階の窓がわずかに開いていて花瓶が見えます。花瓶にはチューリップが生けてありました。その部屋のことが何となく気になって、いつも2階を見上げながら通り過ぎていました。

 あるとき、いつものように2階を見上げると、花瓶の向こうに女の人の姿が見えました。目と目が合います。

 この女性はお玉さんと言って、ある高利貸しのお妾さんでした。医学生とお玉さんとは、目と目を合わせるだけの関係でしたが、2人の間に流れる締め付けられるような切なさ、かなしみが印象に残っています。

 解剖実習での女性を見ながら、私は彼女とお玉さんが重なりました。

 あれから60年以上がたちました。私は医療の一番の基本はお互いのかなしみを敬い合うことだと思っていますが、初めての解剖実習でご遺体と対面して、お玉さんのかなしみに触れたような気がしたのが、その原点かもしれません。

 死は終わりではなく、永遠に続くいのちのプロセスである。それを前提にして患者さんに寄り添うのが医療です。からだやこころだけでなくいのちにも寄り添う。そのためには死のこと、死後の世界にも思いを馳せないといけないのではないでしょうか。

 アメリカのマイケル・ニュートンというカウンセラーの方が書いた『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』(ヴォイス)という本を読み直しました。

 死後の世界は秩序正しく作られているということが書かれています。死ぬとお迎えが来ます。そしてガイドがついて死後の世界を案内してくれます。

 図書館へ行くと、そこには自分のファイルがあります。自分に関するすべてのことが記録されています。

 それを読みながら、これまでの生き方を見直します。そして、これからどう生きていくかを考えるのです。

 自分のファイルにはどんなことが書かれているのかワクワクしませんか。それを読んで、どんなことを感じるのか。楽しみで仕方ありません。

 コロナ禍という、これまで体験したことのないような環境に置かれたのも、何か意味があると思います。この機会に死というものをさまざまな視点から考えてみるのもいいのかもしれません。