vol. 151

汗水流して働いたあとの晩酌が最高の楽しみだったのに

まるで禁酒法の時代。お酒にはいろいろな思い出がある

 これだけ世の中を混乱させているのですから、どうしてもコロナの話題が多くなってしまいます。

 なぜこんなに騒ぐのか、私にはよくわかりません。特に飲食店でお酒を出せなくなったのには参ります。

 あちこちでお話したり、原稿にしていますが、私は一生懸命に働いた後の晩酌が最高の生きがいです。おいしいお酒を飲むために汗水たらして働いていると言っても過言ではありません。だれもが嫌がるストレスも、私にとってはおいしいお酒を飲むにはなくてはならないもので、たいていのストレスは大歓迎です。仕事が終わったら、行きつけのお店に行って、生ビールや焼酎を飲むのが、何ものにも代えがたい喜びなのです。

 緊急事態宣言でそれができなくなってしまいました。まるで禁酒法の時代みたいだと笑っていますが、心の中ではこんな低レベルの施策しかできない政治家にあきれています。

 今は、飲食店へ行くことはほとんどありません。なじみのお店へ行けないのは残念ですが、お酒が出なくては行く意味がありません。仕事が終わったら、川越のときは病院の食堂か知り合いの自宅でいっぱいやり、池袋のクリニックのときはロビーで飲んでから帰ります。

 こんな状態がいつまで続くのでしょうか。

 お酒にはいろいろな思い出があります。初めてお酒を飲んだのは中学生のころでした。大らかな時代でした。

 私は子どものころから朝方の生活をしていました。高校受験のときも、晩ご飯を食べると布団に入り、朝の4時ごろに起きて勉強をしていました。

 私の両親は商売をしていて忙しかったので、母の知り合いのおばさんが私と弟たちの面倒をみてくれていました。ハイカラなおばさんで、学校へおばさんの作った弁当をもっていくと、みんながのぞき込んで、「お前の家は料理屋か」とびっくりしました。カレーライスがおいしくて、あれから70年以上たっても、おばさんの味を超えるカレーには出あったことがありません。

 おばさんが、晩ご飯のときに必ず出してくれたのが赤玉ポートワインでした。すぐに寝付けるようにとの配慮でした。晩酌の習慣はそのときからあったのです。

 おかげさまで夕食後に布団に入るとすぐに眠ることができました。4時に起きたときには頭もすっきりしていて、勉強もはかどったものです。今でも、9時を過ぎればいつでも眠れる態勢になっています。3時とか4時には起きて、原稿を書いたり、ホメオパシーの処方をするといった仕事を始めます。

 晩酌も早寝早起きもあのころに培われたものです。そういう意味で、おばさんの赤玉ポートワインのことは忘れられません。

 お酒と言えば、大学生のころからずっと通っていた「フローラ」という小さなバーを思い出します。オープンしたのは1959年(昭和34年)の9月の終わりころ、伊勢湾台風の日でした。

 私が初めて行ったのはオープンの翌日でした。以来、ママさんが急病で倒れて亡くなるまで通いました。

 お酒というのは雰囲気が大切です。どれほど高価でおいしいお酒でも、説教されながら飲むのはストレスです。独りで飲みたいときもありますが、気の合う人と楽しくおしゃべりをしながら飲むのが一番です。

 フローラは私にとっては最高の雰囲気でした。ママさんが良かった。みんなを気持ちよくさせる気配りのできる人でした。

いい酒場があって、そこでの人との交流がドラマを生む

 ママさんは、常連さんから「日めくりを一枚一枚めくるように生きている人」と言われていました。

 目の前のお客さんに意識を集中し、精いっぱいのおもてなしをするママさんの姿が「日めくり」を連想させたのではないでしょうか。一日一日を真摯に受け止め、きちんと完結させながら次の日を迎えるという姿勢をもっていました。

 一期一会、一人ひとりのお客さんをとても大切にしていました。記憶力が抜群で、たった一度しか来店していないお客さんでも顔と名前を憶えていました。

 これは驚異的な能力で、ママさんのファンはどんどん増えていきました。

 何年かぶりで二度目にそのお店を訪ねたとき、「あら〇〇さん、久しぶりですね」と迎えられたら、だれでも気分がいいものです。

 私のように常連になると、カウンターに座っただけで、私の好きなお酒、料理が出てきます。私はそれが心地よくて、東京で仕事があるときには必ずこのお店に寄ったものです。

 ママさんが亡くなったときには、たくさんの常連さんがお葬式に駆けつけ、大の男がはた目をはばからず声を上げて泣いていました。めったに泣くことのない私も、生前のママの姿を思い浮かべ、目からあふれるものをこらえることができませんでした。

 こうしたドラマは、お気に入りのバーがあって、そこで楽しくお酒を飲めるからこそ生まれるものです。家で飲んでいては、なかなか人と人とのつながりは広がりません。

 私のもうひとつのお酒の楽しみ方は、すでにあちらの世界へ行った人と対話をしながら飲むことです。

 一人で飲んでいるときでも、大勢での飲み会でも、ある瞬間、ふっとあの世に意識が向くことがあります。

 いろいろな人が頭に浮かんできます。太極拳の楊名時先生だったり、フローラのママだったり、かつての同僚だったり、患者さんだったり、ふっと頭に浮かんだ人と対話をします。

「こっちは大変ですよ。コロナのため、外でお酒が飲めなくなりましてね」

 そんな感じで語りかけると、向こうからも返事が返ってきたような感じがして、あれこれとよもやま話をするのです。

 私にとっては至福の時間です。

 最近も、親しくしていた方が何人か亡くなりました。とても気のいい人たちでした。

「そっちでどうしているの?」

 彼らはいつもニコニコしています。きっと、楽しく暮らしているのだと思います。

「いい人はそっちへ早く行ってしまうね。私は85歳になってもまだ呼ばれないよ。なかなかいい人になれないね」

 そんなふうに笑って話すと、

「もっと、そっちの世界を楽しんでください

 まだやることがいっぱいあるじゃないですか」

 と返してくれたりします。

 こうした対話は、家で飲んでいてもできますので、試してみてください。

 外で飲めないというのは、私にとっては不本意ですが、文句を言っても仕方ありません。

 こんな異常なことはいつまでも続きません。晴れて外でお酒が飲める日を楽しみにしつつ、置かれた状況の中でどうやって楽しんでいくかを工夫していこうと思っています。