vol. 153

家族には患者さんを支えるいいサポーターであってほしい

どんな状況であっても、日々を充実して生きること

 世の中は「コロナ、コロナ」と騒ぎが治まりませんが、私の専門であるがんを患う人も相変わらずたくさんいます。

 今回はがんのお話をします。

 がんになった本人も大変ですが、家族にも大きな負担がかかります。家族ががんになったとき、どんなサポートができるのか、さまざまな家族模様を見てきましたが、家族の接し方は意外と難しいものです。いいサポートをしている人もいれば、そうでない家族もあります。

 もめるのは治療法選びです。

 がん治療の基本は手術と抗がん剤です。これには好き嫌いがあります。特に女性は激しい治療を嫌う傾向にあります。乳がんで乳房を手術でとるとなると、だれもが抵抗あるでしょう。子宮や卵巣もできたら残したいと思う人も多いようです。抗がん剤は副作用の問題があります。髪の毛が抜けて体力を消耗しやせ細って…というイメージがありますので、できたら避けたいと思う方はたくさんいます。

 患者さん本人が手術や抗がん剤を嫌がっているとき、家族はどうすればいいでしょうか。多くの家族が、標準的な治療を受けさせたいと思っています。手術を嫌がる本人と受けさせたい家族の間で口論が始まることもあります。

 逆に、患者さんは手術や抗がん剤を受けたいと思っているのに、家族がそんなきつい治療はやめて代替療法をやった方がいいと反対する場合もあります。

 私は、基本的には本人の意志に任せるのがいいと考えています。

 家族が違う意見であれば、そこはしっかりと話し合い、専門家である私たち医師の意見も聞きながら、患者さんが納得して治療を受けられるようにした方がいいでしょう。

 主人公は患者さん本人です。きちんと話し合って、最終的な決断は本人に任せるという姿勢が大切だと思います。

 治療法を決めたら、もう迷わないことです。「必ず効果が出る」と大いに期待して治療に専念してください。家族の方も一緒に期待してください。

 そして、ここはさじ加減が難しいのですが、効果に期待しつつも、治ることばかりに固執しないという態度も必要です。永遠に生きると思っている人はいないと思いますが、老いるとか病むとか死ぬことから目をそらせたいと思っている人は多いでしょう。しかし、「老」「病」「死」は避けられない人生のステージです。患者さん本人だけでなく、家族の方も、そのことを嫌々ではなくきちんと認めることが大切です。

 治るとか治らないを超えて、どんな状況であっても日々を充実して生きることを肝に銘じてほしいのです。がんをいたずらに怖がらずに、治療と並行して養生を心掛けてください。

 養生にはいろいろとありますが、私は「食の養生」「こころの養生」「いのちの養生」と分類しています。

 何をするかは、人によって好みもあります。できるだけ長続きするものを選ぶことをおすすめします。

 私の場合は、「食」に関しては好きなものを食べるようにしています。食べたいと思うのはからだが求めていることだ、と私は考えています。好きなものを少しだけ食べるのが私の食の養生です。

 「こころ」に関しては、どんなことでもいいので、喜び、ときめきを感じることです。がんと診断されれば、本人も家族も気持ちが落ち込んでしまうのは仕方ありません。無理に明るくふるまう必要はありませんが、毎日の生活の中でひとつでもふたつでも喜べることを探してみてください。

 「いのち」については、死のこと、死後の世界について考えてみることです。がんの患者さんと死の話をするのは勇気がいることかもしれませんが、家族の一人ががんになったのをきっかけに、みんなで病気になるということ、死ぬということを考えてみるのもいいのではないでしょうか。死から逃げていると恐怖が消えません。しかし、真正面から見据えることで気持ちが落ち着いてくるものです。

 もうひとつ、家族ができることは、患者さんの希望をできるだけかなえてあげることです。行きたいところがあれば、車を運転するなど、労働力を惜しまずに提供してあげてください。

緩和ケアといっても諦めることではない。希望を忘れない

 がんが進行してしまった場合、緩和ケアをすすめられることがあります。

 「もう死を待つだけだ」

 ご本人もご家族も、緩和ケアと聞くとがっくりしてしまうかもしれません。治療が底をついて苦痛をとることが緩和ケアだと思われていて、そういう時代もありましたが、今はかなり変わってきました。

 25年ほど前、イギリスにスピリチュアルヒーリングの勉強に行ったとき、ロンドンにあるホスピスのことを聞きました。そのときに言われたのは、ホスピスは死を受容した人を受け入れるのだから、治療行為はしないということでした。貧血があっても輸血をしないと言うのです。ホスピスの意義としてはそうかもしれませんが、私はその説明に違和感をもったのを覚えています。死を受け入れるのは大切ですが、だからと言って、治ることを完全にあきらめる必要があるのかと思ったのです。

 それから15年ほどたって、日本で緩和ケアのシンポジウムが行なわれました。私は司会を頼まれました。緩和ケアに携わる方々がいろいろな発表をしてくれましたが、内容はとても興味深いものでした。

 発表者が異口同音に言ったのは、「緩和ケアと言ってもあきらめることではない。希望をもち続ける緩和ケアを意識している」ということでした。とてもうれしく思いました。

 私の病院でも、緩和ケア病棟は年々充実してきています。治療がないのは西洋医学という範囲の中でのことです。内外の代替医療に目を向ければいくらでも治療法はあります。

 緩和ケアでは、何が何でも治してやるということではなく、患者さんの希望を明日につなげるようにケアをします。いくら進行したがんであっても、全面的に白旗を上げるわけではありません。

 先ほども言いましたが、だれにも死は訪れます。確かに、緩和ケアに入る患者さんは、死が近いところにあるかもしれません。しかし、元気な人でも、いつかは死が訪れます。死から逃れられる人は一人もいないのです。

 そのことは常に前提として考えておく必要があります。

 家族の方も、死をこころの片隅に置きながら、希望を忘れないことが大切です。

 医療の効果は治療法だけではありません。患者さん本人と医療者、それに家族の信頼関係があってこその治療効果だと思います。

 患者さんを支えるのは家族の役割です。しっかりとコミュニケーションをとって、いいサポーターになってください。