帯津良一
vol. 128

「アンチ・エイジング」ではなく「ナイス・エイジング」を

老化は自然の摂理。人間を幸せに導く神の好意なのです

 老化についてはどういうイメージをおもちでしょうか。いつの間にか年を取ったなあという人もいれば、こんなふうになるとは思わなかったと感じている人もいると思います。

 老いはよく「ひたひた」と近づいてくると言いますが、私の場合は、元気よく「すたすた」とやってきたように感じます。

 貝原益軒は、「人生の幸せは後半にあり」という考え方をもっていました。50歳にならないと人生の道理も楽しみもわからないと言っています。私もそう思います。実際、私は60歳を過ぎてから、華やかな人生が始まったように感じています。

 仕事面では、病院のほかに、ホリスティック医学協会の二代目の会長になりましたので、からだ・こころ・いのちをまるごと見る新しい医療をどうやって広げていくか、自分で考えたり、仲間と議論したりしました。本もたくさん書きました。あちこちに講演に行きました。協会の会長は後進に譲りましたが、今は、ホリスティックを超えた大ホリスティック医学を唱えています。

 老化は自然の摂理。水が高いところから低いところへ流れる。太陽が東から上がって西に沈む。それが摂理です。これらは、神が人の利益をおもんばかって、世の中のすべてを導き治めるというやさしい働きでもあります。

 老化も自然の摂理ですから、それに逆らうのは間違っています。一時「アンチ・エイジング」という言葉が流行りましたが、私はいつも違和感をもってその言葉を聞いていました。アンチというのは逆らうということです。年を取ることに逆らう。そんなことがもてはやされたら、それこそせっかくの神の導きに背を向けるわけで、一時的にはうまくいっても、本当の意味での幸せは得られないのではないかと思うのです。

 私は老いに逆らう気はまったくありません。しかし、だからと言って、自然に任せるばかりということでもありません。70歳なら70歳なりに、80歳なら80歳なりに、いい年の取り方をするための努力はしようと思っています。それを「ナイス・エイジング」と呼んでいます。ナイスというのは、いろいろな使い方があると思いますが、私の頭に思い浮かぶのは、野球で使う「ナイスバッティング」「ナイスピッチング」です。難しいタマをうまく打ち返したり、ストライクゾーンぎりぎりのところに投げたりすると、思わず「ナイス」と叫んでしまいます。思い切ってバットを振ったり、直球をど真ん中に投げ込んだときにも「ナイス」と声が出たりします。

ナイスには、胸のすくような小気味良さがあります。勝ち負けを超えた喜びを感じます。

「ナイス」と叫べるような老い方ができれば最高だと思います。これまで「凛として老いる」とか「粋に老いる」といったことを話してきましたが、凛として、あるいは粋に老いている人を見ると、思わず「ナイス」と言いたくなります。

ナイス・エイジングは、いつの日か必ず死ぬことが前提

 ナイス・エイジングは、私が日ごろから提唱している攻めの養生です。養生というと、病気を未然に防ぐための健康法のように思われてきました。しかし、本当の養生は健康という枠では語れません。健康かどうかなど関係なく、どれだけいのちのエネルギーを高めることができるかが養生の鍵です。日々、いのちのエネルギーを高め続け、死ぬ日を最高にし、その勢いで死後の世界に突入していくのです。それこそ、ナイス・エイジングだと、私は思います。

 ナイス・エイジングとアンチ・エイジングの違いは、死をどうとらえるかということかもしれません。

 アンチ・エイジングが老いに必死で抵抗するのは、その先にある死を認めたくないからではないでしょうか。あるいは、死のことを考えないようにしたいのかもしれません。

お釈迦様は生老病死を四苦と言いました。それ以来、人々は苦しみは何とか取り除かないといけないと努力してきました。人類は四苦との闘いをずっと続けてきたのかもしれません。

しかし、だれでも病気はするし、年は取っていくし、必ず死にます。つまりは、避けられないものです。そこから何とか目を離そうとする。実は、どうあっても逃げられない定めのようなものから逃げようとすることこそ、一番の苦なのではないでしょうか。

死が苦とか不幸だとしたら、私たちはみんな、苦・不幸に向かって突っ走っているようなものです。どんなにがんばって生きようが、成功しようが、必ず死で人生が終わります。死を苦だと考えている限り、何をしてもそこには虚しさが襲ってきます。特に、高齢になれば死のささやきが聞こえてきますから余計にそうでしょう。

そこがアンチ・エイジングの限界だと、私は思っています。中国では、究極の養生は不老不死です。つまり、中国の養生はアンチ・エンジングなのです。

私が言うナイス・エイジングは、いつの日か必ず死ぬことが前提です。死を避けようとしたり、死から目をそむけるのではなく、むしろ死を手の内に入れてしまうのです。積極的に死のことを考えながら日々を過ごすことです。

私は、あるときから「今日が最後の日」と思って生きるようになりました。朝、目が覚めると、「よし、最後の日だ。いい一日にしよう」と決意します。そうすることで、死に対して親しみを感じることができるようになりました。

折に触れて、自分の死に対して思いを巡らせます。それがとても気持ちのいい時間となっています。

死のことを考えたり話したりするのは縁起が悪いと嫌がる人もいますが、避ければ避けるほど死はネガティブなものになります。一人静かに食事をしたり、お酒を飲んだりするときには、死について考えてみるのもいいのではないでしょうか。家族で死のことを話し合ってみるのもいいと思います。

もっと日常の中で死を考えながら、自分はどうやって死んでいきたいのか、できれば楽しく考えられるようになれば、きっとそういう人は「ナイス」と言ってもらえるような最期を迎えることができるはずです。

アンチ・エイジングではなく、ナイス・エイジングを目指していただきたいと思っています。