7月6日(土)に「がんコンベンション」で講演をしてきました。NPOがんコントロール協会という団体の主催で、今回が25回目となります。がんコントロール協会は、アメリカがんコントロール協会日本支部ということでスタートしたようです。それが1994年のことで、翌年からがんコンベンションは始まりました。
西洋医学だけでなく、代替療法も取り入れた統合医療でがんに立ち向かっている医療者らが、その方法、体験、結果を発表してきました。1回につき10人ほどの方がお話しされますから、延べにして250人もの方が、統合医療によるがん治療ついて語ってきたわけです。
聴衆はがんの患者さんやご家族はもちろん、一般の方、医師や看護師、治療家のみなさん。サプリメントを扱っている業者の方も多数お越しになっていました。
このイベントは毎年、土曜日曜の2日間にわたって行われます。私は第1回目からずっと演者として呼んでいただいていて、日曜日は講演などが入っていることが多いので、いつも土曜日のトップバッターで話させてもらっています。
6日の講演は9時50分開始だったので、9時に控室に入りました。すぐあとに入ってきたのが、アメリカがんコントロール協会のフランク・コージノー会長でした。第1回目からの付き合いです。身長が2メートルはあるかと思えるほどの立派な体躯で、風貌も25年前とほとんど変わらない若々しさです。
「いつまでも若いですね」
そう言うと、
「帯津先生も全然老けないね」
いい笑顔で私の手を握りました。
そこへ日本側の代表である森山晃こう嗣じさんが入ってきました。森山さんは、日本がんコントロール協会の設立者です。細胞レベルでの最先端の栄養学を学んだ方だとお聞きしています。彼とも第1回目からの長いお付き合いです。
「おかげさまで25回続きました」
私の顔を見ると、森山さんは深々と頭を下げました。こういう会は、立ち上げることはできても、それを継続させることが難しくて、数年で終わってしまうことが多々あります。
25年も続いたのは、彼の情熱と使命感と根気の賜物です。それに経済力もないとできません。統合医療が広がるためには、こういう行動力のある情熱家が必要です。
「25年間もよく続けてくださいました。森山さんのがんばりには敬意を表します」
演壇に上ったとき、私は最初にそうあいさつをしました。
20回目のとき、司会の方が、こんなふうに私のことを紹介してくれたのを思い出しました。
「20年間1度も休まず話してくださっているのは帯津先生だけです」
「そうなんだ」と驚きました。
確か、4回目か5回目のころ、
「もうネタがないよ」
そんな弱音を吐いたことがありました。そしたら、森山さんが「そんなことないですよ」とちょっと怖い顔で言いました。
「先生のようにきちんと臨床をやっている方はネタが尽きることがありません」
うれしい言葉でした。
確かにその通りで、1年たてば、新たなネタが出てくるものです。そうやって20年が過ぎ、今回の25回目も、当然のことですが、第1回目から話しているのは私だけです。この会が継続し、私が演台に立つ限り、記録はどんどん更新されます。破るのが不可能な記録です。
講演が終わったあと、コージノー会長が舞台に上がってて、私にトロフィーを手渡してくださいました。感無量でした。
続けることは、人生において大事なことだと、改めて感じました。