私はたくさんの患者さんの死に立ち合ってきました。死に方は人それぞれです。覚悟を決めて見事なまでに潔く旅立っていく人もいれば、後ろ髪を引かれながらの人もいます。ところが、だれもが、死後しばらくするととてもいい顔になります。数分後に表情が変わる人がいれば、もっと時間がかかる人もいますが、それでも必ず手を合わせたくなるような仏様のような顔になるのです。
その変化を見て、きっとこの人は、精いっぱいがんばって生きて、重い荷物を置いてこれから故郷へ帰っていくのだなと、私は感じました。故郷へ帰れる安心感や喜びが、あの表情として現れているのではないでしょうか。死の先に何かがあるからこそ、彼らはあんなにも満足と喜びに満ちた表情になるのだと思えてなりません。
有名な漫画家の手塚治虫さんも、医学生として初めて人の死を目の当たりしたとき、亡くなった方の顔が変わることから死後の世界を確信したと「ぼくのマンガ人生」(岩波新書)というエッセイに書いています。そのとき、手塚さんは教授や助教授の肩越しに患者さんの顔を見ていました。がんの末期の患者さんでした。
生気を失った土のような顔色。最期の瞬間を迎えつつありました。静かに息が止まりました。教授が「ご臨終です」と告げた瞬間、患者さんの表情が変わりました。手塚さんは驚いたそうです。
「まるで仏様のような顔になった。それまでしかめっ面して、頬がやせこけて本当に見るのが哀れな容貌だったのが、一瞬ひじょうに神秘的な美しい顔になったのです」
そして、こんなふうに思ったそうです。
「死ぬときにこんなにほっとしたような顔をなさる。もしかしたら死というものは、われわれが頭の中で考えている苦しみを超越したものではないだろうか。何か大きな生命力みたいなものがあって、人間という肉体に宿っているのは、そのうちのごく一部の、一時の機関にすぎない。霊魂というか、生命体というものは、人間の体を離れたら、どこかに行ってしまうのではないか」
私と同じように、手塚さんの目にもほっとした顔に映ったようです。初めて死を見て、ここまで感じ取れる感性はさすがだと思います。死後の世界はある。死は決して悪いものではない。死の向こうにはほっとできる何かがある。
その後、「ブッダ」「火の鳥」など、生と死をテーマにした作品をたくさん描かれた手塚さんでしたが、その原点はここにあったのかもしれません。
医療の世界でも、老いや死のことをしっかりと考える必要があります。
死を悪者ととらえている今の医療の中では、医者は助からない人に対してとても冷たくなってしまいます。死は敗北だととられていますので、人生のラストシーンを迎えている患者さんのもとへは足が向かなくなってしまいます。医者は死後の世界に対して自分なりの考えをしっかりもつべきです。そうすれば、旅立とうとしている患者さんにやさしい言葉のひとつでもかけてあげることができるはずです。私は、死後の世界まで視野に入れた医療を願ってアンチではなく、ナイスエイジングをと、唱えています。