帯津良一
vol. 131

老化や死という自然現象には抗わないようにする

アンチエイジングにうつつを抜かしているのはもったいない

 アンチエイジングという考え方には違和感があると何度もお話しました。アンチというのは抗うという意味です。アンチエイジングは自然現象である老化に逆らうことです。たとえば、水は高いところから低いところへ流れます。それが自然現象です。それに逆らって低いところから高いところへ水を流そうとするのは、エネルギーの無駄使いであり、賢い人のやることではありません。

 私はアンチエイジングではなくナイスエイジングを提唱しています。老化に逆らうのではなく、上手に年を取っていくことのほうが大切だと思うからです。

 ナイスエイジングのことを雑誌の記事に書くため、哲学者の池田晶子さんの本を読み直してみました。彼女もアンチエイジングには違和感があると書いていたはずです。

 池田さんは2007年、46歳の若さで亡くなりました。がんでした。残念ながら生前の池田さんにはお会いできませんでしたが、雑誌の記事などで興味をもって彼女の著書を読んでみたら、死によって池田晶子というレッテルを貼った存在は消えてしまうけれども、私という自分の本質は消えないというような深いことが書かれていました。死後の世界を確信していたのだと思います。

 アンチエイジングに関して、彼女が書いている文章を紹介します。

 「ソクラテスは言いました。『人生の目的は魂の世話をすることである』。この世の時空においては絶対的な、老化と、そして死という現象をそれとして認め、受け容れることで、魂はその成熟と風味を増します。そして、老化と死を受け容れるからこそ、人は、さらなるその向こう側を見透せるようにもなるわけです。アンチエイジングなどにうつつを抜かしているのは、もったいないことだと思いませんか。」(初出「ダーナ」2005年夏号(佼成出版社)

 老化や死という自然現象に抗うことに対して彼女は「もったいないこと」と言っているのですが、私もその通りだと思います。

 老いや死を不幸だとか敗北だと思うのは、死ですべてが終わると考えるからです。死後の世界があるかどうかはだれにもわかりません。個人個人の考え方に任されていることなので、自由に考えればいいと思います。

 私は「ある」と信じています。あると信じていて実際はないとしても困らないけれども、ないと信じていてあったとしたら戸惑ってしまいます。あると信じて、なければ仕方がないとあきらめるのがいいのではないでしょうか。

 あると信じていれば、いくつになっても新しいことを始めるのに躊躇はありません。途中で倒れても、続きは死後の世界でやればいいというくらいの気持ちですから、いつも「今度は何をやってやろう」と目を輝かせています。生きている間にこれだけはやらないといけないという焦りがないと、何事にも余裕を持って取り組めますので、思った以上に成果が上がります。

手塚治虫さんも死後の世界を確信していたに違いない

 私はたくさんの患者さんの死に立ち合ってきました。死に方は人それぞれです。覚悟を決めて見事なまでに潔く旅立っていく人もいれば、後ろ髪を引かれながらの人もいます。ところが、だれもが、死後しばらくするととてもいい顔になります。数分後に表情が変わる人がいれば、もっと時間がかかる人もいますが、それでも必ず手を合わせたくなるような仏様のような顔になるのです。

 その変化を見て、きっとこの人は、精いっぱいがんばって生きて、重い荷物を置いてこれから故郷へ帰っていくのだなと、私は感じました。故郷へ帰れる安心感や喜びが、あの表情として現れているのではないでしょうか。死の先に何かがあるからこそ、彼らはあんなにも満足と喜びに満ちた表情になるのだと思えてなりません。

 有名な漫画家の手塚治虫さんも、医学生として初めて人の死を目の当たりしたとき、亡くなった方の顔が変わることから死後の世界を確信したと「ぼくのマンガ人生」(岩波新書)というエッセイに書いています。そのとき、手塚さんは教授や助教授の肩越しに患者さんの顔を見ていました。がんの末期の患者さんでした。

 生気を失った土のような顔色。最期の瞬間を迎えつつありました。静かに息が止まりました。教授が「ご臨終です」と告げた瞬間、患者さんの表情が変わりました。手塚さんは驚いたそうです。

 「まるで仏様のような顔になった。それまでしかめっ面して、頬がやせこけて本当に見るのが哀れな容貌だったのが、一瞬ひじょうに神秘的な美しい顔になったのです」

 そして、こんなふうに思ったそうです。

 「死ぬときにこんなにほっとしたような顔をなさる。もしかしたら死というものは、われわれが頭の中で考えている苦しみを超越したものではないだろうか。何か大きな生命力みたいなものがあって、人間という肉体に宿っているのは、そのうちのごく一部の、一時の機関にすぎない。霊魂というか、生命体というものは、人間の体を離れたら、どこかに行ってしまうのではないか」

 私と同じように、手塚さんの目にもほっとした顔に映ったようです。初めて死を見て、ここまで感じ取れる感性はさすがだと思います。死後の世界はある。死は決して悪いものではない。死の向こうにはほっとできる何かがある。

 その後、「ブッダ」「火の鳥」など、生と死をテーマにした作品をたくさん描かれた手塚さんでしたが、その原点はここにあったのかもしれません。

 医療の世界でも、老いや死のことをしっかりと考える必要があります。

 死を悪者ととらえている今の医療の中では、医者は助からない人に対してとても冷たくなってしまいます。死は敗北だととられていますので、人生のラストシーンを迎えている患者さんのもとへは足が向かなくなってしまいます。医者は死後の世界に対して自分なりの考えをしっかりもつべきです。そうすれば、旅立とうとしている患者さんにやさしい言葉のひとつでもかけてあげることができるはずです。私は、死後の世界まで視野に入れた医療を願ってアンチではなく、ナイスエイジングをと、唱えています。