帯津良一
vol. 132

スピリチュアル・ヒーリング研修での不思議な話

イギリスではスピリチュアル・ヒーリングに保険が適用される

 20年以上も前になりますが、何年間か続けてイギリスのスピリチュアル・ヒーリングの研修ツアーを行っていました。希望者を募り、団体での参加でした。中川会長も一度だけご一緒してくださいました。

 まだ日本ではヒーリングはもちろん、氣功も代替療法も怪しいものと思われていたころのことですが、そのころイギリスではすでにスピリチュアル・ヒーリングは医療として普通に行われていました。NFSH(英国スピリチュアル・ヒーラーズ協会)という民間組織があって、私たちが参加した研修もその団体の主催でした。

 NFSHの定義によると、スピリチュアル・ヒーリングとは、祈りあるいは瞑想と手かざしによって「からだ」「こころ」「いのち」を癒すことです。祈ると言っても、神に祈るのではなく、宇宙の根源(ソース)に対して、自分のスピリットを共振させるというものです。スピリットというのは、魂とか霊というより、生命場と呼んだほうが適切だろうと私は感じました。

 やっていることだけを見れば祈りと手かざしですから宗教的な行為に感じる方も多いでしょうが、その定義や考え方に関しては、とても科学的なものです。だれもができるというのも私には好感がもてました。特定の団体に入らないとできないのではなく、研修を受けてコツをつかめば、簡単にできてしまうのです。

 また、スピリチュアル・ヒーリングは西洋医学と対立するものではありません。あくまでも病気を治療する主は西洋医学であって、西洋医学を補完するのがスピリチュアル・ヒーリングなのです。

 研修が終わると卒業証書をもらいますが、同時に「会員行動規範」が配られます。そこには診断をしてはいけないとか、病院でヒーリングをするときには必ず主治医や看護師の了解を得るとか、予後については言及してはならないといったことが書かれています。自分を律して、あくまでも西洋医学を補完するという立場で医療に加わることをとても重視しているのです。日本では西洋医学と代替療法が批判し合うようなことがありますが、それでは医療は進歩しません。考え方の違う方法であっても尊重し合い、それぞれの特徴を生かして治療に当たることが、患者さんのためにもなるし、医療の発展にもつながると、私は考えています。

 そうした西洋医学とヒーリングの関係性、信頼性があるので、イギリスではスピリチュアル・ヒーリングが健康保険の対象になっているのです。そうしたイギリスの医療の現状を見たくて、スピリチュアル・ヒーリング研修のツアーを実施したのです。

 ロンドンへ着いたら、ホテルの喫茶室で何人かのヒーラーに会いました。彼らの話を聞いていて感じたのは、しっかりと自分たちの立場をわきまえて治療に当たっていることと、自分たちの仕事に誇りをもって取り組んでいることでした。ヒーリングなどの代替療法が医療行為として融け込むには、自らを律することと誇りをもつことが大事なのです。

 ヒーラーの働いているクリニックも見学しました。西洋医学の治療かヒーリングか、患者さんが選んで受けられるというシステムでした。面白かったのは、クリニックの院長は西洋医学の医師ですが、同時にスピリチュアル・ヒーリングの研修も修了していて、どちらの治療もできるということでした。西洋医学、代替療法両方に通じるのはとても難しいことですが、医師が代替療法の知識だけでももっていれば、患者さんがどんな治療を受ければいいのか、たくさんの選択肢をもてるし、適切なアドバイスができるはずです。

 日本でもこうしたクリニックが増えればいいのにと思いながら見学をしていました。

ブラバツキーの館の食堂に毎日現れるやさしいまなざしの男性

 スピリチュアル・ヒーリングの研修は、ロンドンから西へ、ヒースロー空港を越えて1時間半ばかりのキャンベリという小さな町にあるトレーニング・センターで行われました。緑に囲まれた中にあるイギリスらしい古い建物でした。

 一階の廊下にはブラバツキー夫人の肖像画が掛けられていました。ブラバツキー夫人は神智学協会を設立し、神秘主義の運動に大きな影響を与えた人です。この建物も、神智学協会に関係するものだということでした。

 ブラバツキー夫人は霊媒としてとても有名で、その肖像画を見ると「いかにも」という神秘的な形相でした。

 ロンドン市内のスピリチュアルなことに興味のある方は必ずと言っていいほどここを訪ねるそうです。食堂やロビーにはそうした人が集まっているのですが、ほとんどが女性で、男性の姿はほとんど見かけませんでした。スピリチュアルな世界に興味をもつのはイギリスも日本も圧倒的に女性が多いようです。

 私は、昼食が終わるといつも一人で食堂へ行き、静かに物思いにふけっていました。すると、毎日、一人の男性が右側から入ってきて左側へと足早に通り抜けていきました。男性を見るのは珍しいことでしたからよく覚えています。

 中肉中背でやや丸顔。私に向かって目で会釈をしていきます。実にやさしいまなざしです。どこのだれかはわかりません。言葉も交わしません。ただ、毎日のことなので、その顔は脳裏に焼き付いていました。

 帰国後、神智学のことはさておき、シュタイナーの人智学を勉強しようと思い立ちました。シュタイナーは神智学を発展させて、人間を中心に置いた人智学を唱えました。池袋の行きつけの書店へ行き、人智学の本を見つけ出し、表紙を開きました。一人の男性の写真がありました。「はっ」としました。何と、ブラバツキーの館で見かけた、あの男性にそっくりだったのです。ぞーっと背筋が寒くなりました。

 ひょっとしたら、あの館にシュタイナーの子孫がいたのかもしれません。そう思って翌年訪れた際に、シュタイナーゆかりの人がここにいるのか、聞いてみました。答えはNoでした。

 あの人は、シュタイナーの亡霊だったのでしょうか。何のために、毎日、私の前に現れたのでしょうか? まったくわかりませんが、私に何かメッセージを伝えようとしたのかもしれません。

 20年以上も前のことですが、ずっと気になっています。