帯津良一
vol. 121
<いい治療法があっても戦略として使わないとうまくいかない>
「医療」と「医学」とは違うものです。医療は、戦争で言えば最前線です。医学は、兵へい站たんです。兵站というのは、最前線が必要とする弾薬とか食糧を届けたり、武器の開発や整備などをする後方活動の総称を言います。

「医学」は、「医療」という最前線が必要とするもの、不足しているものを補うのが役割です。科学の力で性能のいい武器をそろえて前線に送ります。しかし、いくらいい武器を送ったからと言って、最前線が勝てるかというとそうとは限りません。武器は戦術です。それを何と組み合わせてどんなふうに使うかという戦略がないと勝ち戦にはなりません。

医療でさまざまな治療法(=戦術)を戦略に仕上げるとき、「治しの技術」だけでなく「癒し」が入った方がうまくいきます。桶狭間でも日本海海戦でもそうですが、戦術的に劣った方が勝つには、リーダーの才能や兵隊の士気の高さ、その場そのときの状況に合わせて武器をどう使うか、というのがとても重要になってきます。

日本海海戦では、世界一の艦隊と言われていたロシアのバルチック艦隊に、日本が勝利を収めたのですが、これには理由がありました。日本は、戦略として日英同盟を結んでいたことが大きかったのです。

バルト海というのは、ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に囲まれた海域です。ロシアの最強艦隊は、そこからはるばる日本海までやってきたわけですが、長旅ですから、途中で食料や燃料を補給しないといけません。船の整備も必要でしょう。しかし、当時、世界はイギリスの息のかかったところばかりです。イギリスは同盟を結んでいる日本に味方をします。つまり、バルチック艦隊は、思うように食料や燃料の補給もできず、へとへとになって日本海へたどり着きました。兵隊たちの士気も高まりません。軍艦もきちんと整備ができず本来の力を発揮できませんでした。せっかく、世界一の戦術をもっていても、それを十分に生かせなかったわけです。そこに東郷平八郎のT字戦法が加わって、日本は勝利したのです。

いくらいい治療法があっても、それを戦略として組み立てていかないといい結果が出ません。

先ごろ、京都大学の本庶佑先生がノーベル医学・生理学賞を受賞されました。彼の研究をもとに、オブジーボという免疫療法の薬が開発されました。これからのがん治療は免疫療法が主流になると、私は見ています。その先駆けになるような研究であり、ノーベル賞受賞だったと思います。

しかし、いくらオブジーボという強力な武器が手に入っても、これを戦略として使わないと、いい結果が出ません。国立がんセンターなど大きな病院では免疫療法はあまり評価されていませんので、なかなか戦略として使いこなすことができません。どうしても抗がん剤のように使ってしまうわけです。それではなかなか効果も現れません。このままだと、オブジーボは思ったほど効かないという評価になってしまう危険性もあります。

その点、免疫療法を中心に治療に当たってきたところでは、従来の免疫療法とオブジーボをとてもうまく組み合わせて使っています。私の病院に来られる患者さんの中には、オブジーボに期待して免疫療法を受ける方もいますが、私が見る限り、大きな病院よりも、免疫を専門にしているところで治療を受けた方が効果が高いように思います。

オブジーボは、とてもすばらしい武器ですが、それをどう使うかがもっと大切なことで、特効薬ということではなくて、すぐれた戦術のひとつとして、何と組み合わせてどう使っていけば有効なのか、臨床に当たる最前線の医者は、そのあたりを研究してもらいたいと思います。医療のエネルギーを高めるためにはいい医学をもってこないといけません。しかし、いい医学をもってきて安心していたのではダメなのです。両者をかみ合わせて、いい戦略に仕上げないといけません。

そして、戦略を組み立てる上で、マニュアル化された西洋医学だけでは不十分で、代替療法など「癒し」の治療法も取り入れることが必要だということも、そろそろわかってもらいたいものです。
<治療法を頂点にして、医者、患者さんの信頼の三角形を作る>
医療と医学が違うものだということがわかっていただけたかと思います。では、医者はどちらの側に立つべきでしょうか。それははっきりしています。医療側、つまりは最前線にいるべきです。

しかし、中には医療の側に立っているのか医学の側に立っているのかが不透明な医者もいます。がんというミステリアスな病気に対して、マニュアルや統計ばかりで対処しようとすると、医療不信、あるいは医療批判につながってしまいます。最前線では何が起こるかわかりません、思いも寄らぬことが起こったときに、どんな戦略で臨むか、それを臨機応変に判断できるセンスが、臨床の最前線にいる医者にとって必要なことです。

その判断の参考になるのが、アリゾナ大学医学校の教授であるアンドルー・ワイル博士の提唱する「信頼の三角形」という考え方です。ワイル博士は、薬用植物の世界的な権威で、西洋医学も東洋医学も代替医療も適材適所で使って治療をする「統合医療」のオピニオンリーダーです。

信頼の三角形というのはこういうことです。 ある治療をします。その治療を患者さんは信用しているのに医者は疑問をもっている。逆の場合もあります。どちらも効果はもうひとつということが多くなります。

理想的なのは、医者も患者も治療法を信頼して取り組むことです。治療法を頂点とした、医者、患者さんの三角形。これが信頼の絆でしっかりと結ばれていることです。

この三角形ができていれば、治療にも大きな効果が出ます。病気とは、治療法だけでもダメだし、医者の力、患者さんの力だけでも戦えません。信頼の三角形こそが最大の武器です。

ですから、医者がいくらいい治療法をすすめても患者さんに信頼してもらわないと効果も半減だし、患者さんがこの治療法をやりたいと希望しても医者がその効果を疑っていては十分な力を発揮できません。もちろん、医者と患者の信頼関係ができているかどうかも効果に影響を与えます。

病気治療の最前線にいる医者は、兵站である医学からいい治療法が届けば、まずは自分がその治療法を信頼できるかどうかをチェックします。信頼できなければ使ってはいけないし、信頼できれば、患者さんはどうかと考え、もしどうしても使った方がいいと思うなら、患者さんが納得するまで説明して、その治療法と自分に対する患者さんの信頼を得る必要があります。この「信頼の三角形」、私は日本ではずっと以前から弱いように思えてなりません。信頼の三角形を作るには、私は医者が患者さんのかなしみを思って、寄り添うことが大切だと考えています。ずっと、そのことを訴えてきました。

しかし、現実はなかなか実行されません。 私のところに来る患者さんの話をお聞きしていると、医者の冷たさがいかに患者さんを傷つけているかがよくわかります。

たとえば患者さんが、「私はどうしても抗がん剤はやりたくない」と言ったとき、平気でこんなことを言う医者がいるそうです。

「いいでしょう、やらなくても。でも、それだったらあなたはここに来る意味がないから、すぐにほかの病院に行ってください」

これでは信頼の三角形は成り立ちません。こういうことを言う医者は、抗がん剤の効果を信じているのでしょう。でも、患者さんは抗がん剤に対して信頼をもっていません。ちまたで言われているように、つらい副作用ばかりで効果はないと思っているわけです。どちらが正しいかは別にして、どちらかが信頼していない治療法では効果はあまり期待できません。それに、こういうやり取りしかできない医者を患者さんは信頼しません。信頼の三角形のうち、治療法と患者、医者と患者という2つが破綻してしまっているので、いい結果が出るはずがありません。

もし、患者さんが「抗がん剤をやりたくない」と言ったときに、医者が患者の気持ちを大切にして、患者の言葉にきちんと耳を貸したとしたらどうでしょう。そして、患者がやりたい治療法があれば、その情報を集めた上で、自分の考えを伝える。そんな態度をとれば、患者さんはその医者を信頼するでしょう。その上で、今の病状だったら抗がん剤をやった方がいいと医者としての戦略を伝えれば、患者さんは耳を貸すのではないでしょうか。それでも抗がん剤はやりたくないということなら、そこで見放すのではなく、抗がん剤という選択を外した場合にはどういうやり方がいいかを、一緒になって考えることが大切です。

今は患者さんがたくさんの治療情報をもっていますので、医者の側も西洋医学の知識・情報だけでは対応できません。西洋医学の治療法が底をついても、代替療法で回復に向かう患者さんもいます。決して迷信として切り捨ててしまっていいような情報でもありません。日ごろから代替療法にも興味をもって勉強をしておくとか、患者さんに質問されたら調べてみるくらいの柔軟さが必要です。そうしないことには、信頼の三角形を作ることはできません。戦術(治療法)も少ないし、戦略を組むこともできなければ、いい治療ができるはずがありません。最前線にいる医者としてそれでいいのか、考えてみる必要があるでしょう。