養生というのは生命のエネルギー、つまり生命力を高めることです。この生命エネルギーのことを、中国医学では
「氣」と言っています。生まれつきもっているエネルギーを「先天の氣」、飲食などをとおして得たエネルギーを「後天の氣」、先天の氣と後天の氣が結合したものを「真氣」とか「正氣」「元氣」と言います。
この氣がからだの中をスムーズに巡っていると健康であり、氣が足りなかったり流れが滞ると病気になるとされています。鍼灸治療では、経けい絡らくと言われる氣の通り道を刺激することで氣の流れを良くして病気を治します。氣が流れるルートである経けい脈みゃくとそこから分かれた絡らく脈みゃくを合わせて経絡と言っています。
また、氣の流れを考える上でとても重要なのが丹たん田でんです。丹田の「丹」は道教で言う丹薬(生命を育む秘薬)のことで、「田」は文字通り田んぼです。丹田は生命の源です。へその下9センチほどのところにあり、そこへ氣が集まり、そこで氣が練られて、躍動する氣(動氣)が全身に巡って行くのです。
丹田に氣を集めるには、氣功の三要素である「調身」「調息」「調心」が大切です。まずは調身、姿勢を正すことです。氣功や太極拳では、上半身の力を抜いて下半身に力をみなぎらせる「上じょう虚
きょ下か実じつ」を意識することが基本です。調息は呼吸のことです。吐く息を重視して長く深い呼吸を心がけてください。調心は気持ちの持ち方。私流に言えば、ときめきをもって生きることです。
私は学生時代に空手をやっていましたので、そのころから丹田を意識していました。調和道丹田呼吸法も習っていましたので、丹田の存在は当たり前のように思っていました。
外科医として手術をするとき、へそ下9センチほどのところには何があるのか、調べたことがあります。そこには小腸があるのみで、丹田は実体としては見つけることができませんでした。
西洋医学では、解剖して見つからなければないものとします。丹田はどうあっても見つかりません。経絡もありません。まして、氣など、どうがんばっても見つけ出すことができません。ですから、西洋医学では氣の存在を認められないのです。
私が手術をしていて気になったのは、臓器と臓器の間にある空間でした。からだの中は隙間だらけです。この空間に生命エネルギー、つまり氣が詰まっているのではと、私は考えました。そこには空気があるわけでもないし、真空でもありません。何かがあるのですが、何かわかりません。それを氣と考えても不都合はないだろうと思います。
そして、氣は臓器と臓器をつなぐ役割を果たしているのではないかと考えました。臓器は独立して機能しているわけではなく、それぞれが影響を与え合っています。中国医学ではそう考えられています。つまり、氣をとおして情報が行き来することで、からだの中の秩序が保たれているのではないでしょうか。