WEB限定記事
い氣い氣ピープル ハッピーライフ
by Yasuhisa Oharada
広島の記憶を風化させないために。被爆体験伝承者という貴重な活動
~広島市・小野寺京子さん
第二次世界大戦が終結して75年になろうとしている。実体験として記憶している人は少なくなり、戦争があったことすら知らない若者もいる時代になった。広島では原爆体験を後世に残すため、被爆体験伝承者養成事業を行っている。小野寺京子さん(63)はその第一期生だ。
被爆体験を後世に伝えるため、被爆体験伝承者を養成する
1945年8月、広島と長崎に原爆が投下された。広島では約14万人もの方が悪魔の兵器の犠牲になってしまった。長崎市でも7~8万人の死者が出た。その後、どれだけの人が後遺症で苦しんだかわからない。
二度と核兵器は使うべきではない。もし「次」が起こったら人類は滅亡する。広島、長崎は人類永劫の教訓として、その記憶を風化させてはいけない。
ただ、人は年を取り、やがては亡くなる。原爆を体験した人は、若くても75歳。生まれたばかりでは、その記憶もないだろうから、体験を語れる人は80歳を超えている。
そんな現状を踏まえて、広島市では2012年(平成24年)に「被爆体験伝承者養成事業」をスタートさせた。被爆者が語れなくなる前に、彼らが体験したことや平和への思いを受け継ぎ、それを伝える人(被爆体験継承者)を養成しようというものだ。
小野寺さんはその第一期生。
「広島で生まれ育ったにもかかわらず、原爆のことにあまり興味もなかったし、何も知りませんでした。平和記念資料館にも小学校の遠足で行ったきりでした。
娘が小学生のころ、学校の行事で被爆体験を聞く機会がありました。お話してくださったのは被爆者団体の理事長さんで、その方とはずっと親しくさせていただき、原爆のことにも興味をもつようになりました。娘が高校生のときにも被爆者の体験をお聞きすることがありました。最愛の妹さんを原爆で亡くされた方でした。悲しみというのは月日がたてば薄らぐものだと思っていましたが、その方の話からは逆に、時間が過ぎるほど募る悲しみがあるのだと感じました。そんなときに、市が伝承者を募集していると知り、すぐに応募しました。被爆者の方の思いを知りたいと思ったからです」
伝承者になるには3年間かかる。1年目は原爆や放射線障害などの基礎知識を講義で学ぶ。2年目は体験者の講話を聞き、どの方の体験を伝承するかを決める。決まったら1対1のお付き合いが始まる。とても重要な意味をもつ2年目だ。
「ご自分の体験を正確に伝えてほしいと、家族でも知らないことを包み隠さず話してくださいます。亡くなったご家族が残した万年筆や日記、ネックレスなども見せてくれます。長い間、大事に保管してきたものです。どんな思いだったのか、胸がいっぱいになります。
1年間、深く付き合いますので、家族のように親しくなります。被爆の体験だけでなく、その人の背景まで伝わってくるような関係ができて、その人のことが大好きになるんですね。この思いをがんばって伝えないといけないという気持ちになりますよ」
小野寺さんのご両親も被爆者だ。
「母は、山口日赤病院で看護師になる勉強をしていて、原爆が落とされた次の日に広島に入ったそうです。父は、爆心地から3キロくらいのところにある飛行機の工場で、勤労奉仕に来ていた学生たちの先生をしていたようで、屋根が爆風でぺしゃんこになったという話はしてくれました」
それ以上の詳しいことは親もあまり話そうとしなかったし、小野寺さんから聞くこともなかった。衝撃的な体験をして、心に秘めた思いをもっていたに違いない。証言者の方たちから話を聞くことで、ご両親のつらさ、悲しみも感じられるようになったのだろうと思う。
目を見て伝えることで、言葉を超えたコミュニケーションができる
3年目は講話の実習に入る。伝えたいことを45分の原稿にまとめる。400字詰めの原稿用紙27~8枚になるそうだ。きちんと裏付けがなされた内容か、市の担当者がチェック。原稿が完成したら暗記して発表の練習をする。
「パワーポイントを使う方が多いのですが、私はパソコンも使わないし、原稿や資料も持たず、皆さんの顔や目を見てお話しするように心がけています」
被爆した方たちが体験を語る背景には、二度とこんなつらい目にあう人がいなくなりますように、世界が平和になりますようにという願いと祈りがある。話の内容だけでなく、その思いも伝えないといけない。小野寺さんが大切にしていることだ。
「何年かやっていると、慣れが出てきている自分に気がつき、はっとすることがあります。毎回、初めてのつもりで、緊張感をもってお話をするようにしています。
それに旅行者の方は、貴重な1時間を使って聞いてくださっているわけで、無駄だったと思われないように一生懸命にやらないといけませんからね」
そのためにも、聞いてくれている方たちの目を見て、言葉を超えたコミュニケーションをとりながら語り続けているのだ。
「あるとき、実際に体験した方でないとわからないような鋭い質問がありました。私が答えられないでいると、会場にいた被爆者の方が代わりに答えてくれました。80歳くらいの方でしたが、本当にありがたかったです」
小野寺さんの一生懸命に伝えようとする姿があったからこそ、助けてあげようと思ったに違いない。
現在、伝承者は130人を超えた。資料館の1階にあるビデオシアターで毎日3名の伝承者がお話をする。小野寺さんの出番は月に1度くらいだと言う。
ほかにも、平和記念資料館東館のメモリアルホールやホテルで修学旅行生にお話することもある。中には県外に呼ばれる方もいるそうだ。旅費は支給されるようだが、ほぼボランティアだと言っていいだろう。使命感をもって伝承者という活動を続けている方々ばかりだ。
「資料館を見ただけではわからないもの。たとえば、被爆をした方たちがどういう気持ちで生きてきたのか、今の社会をどう思い、若い人たちに何を期待しているのかといったことも伝えていければいいと思っています」
小野寺さんのような方たちがいてくれるからこそ、貴重な体験が次世代につながる。伝承者になるのは60代、70代という年配の方が多いようだが、もっと若い伝承者が増えてくると、この事業もさらに活気が出ることだろう。
●伝承者の方々のお話は60分間で英語による講話も行われています。
資料館の休館日(12月30日、31日)を除く毎日の開催で、時間は
①11時から ②12時30分から ③14時から ③のみ英語です。
詳しくは平和記念資料館のホームページで
http://www.hpmmuseum.jp/
平和記念資料館啓発課 082-242-7828
ファクス 082-247-2464
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