WEB限定記事

い氣い氣ピープル ハッピーライフ

by Yasuhisa Oharada

温泉につかって不安や恐怖を吹き飛ばしてほしい

~鹿児島市・たぬき湯女将の萩原豊子さん(75)

たぬき湯 鹿児島市にある天然温泉「たぬき湯」。1993年(平成5年)にオープンした。当時はたぬきやへびが出るようなところだったことから「たぬき湯」と命名された。心の体もリラックスできる良質のお湯と建物全体に充満する癒しのエネルギーが、女将(萩原豊子さん)の自慢だ。苦労を重ねてきたからこそ、たくさんの人が幸せを感じる温泉にしたいと願っている。。

苦労して立ち上げたたぬき湯は最高のお湯で、大繁盛

たぬき湯「たぬき湯」を作った経緯が面白い。ときは1988年。バブル景気の真っ只中のこと。「たぬき湯」のオーナーである萩原武光さんは、当時大きな魚屋を経営。豊子さんはすし割烹のお店を鹿児島の繁華街・天文館に出していた。自らが寿司を握った。武光さんが魚屋だったので、新鮮なネタが手に入ったし、女性のすし職人は珍しいということでマスコミにも取り上げられて大繁盛だった。
「事業が順調だったので、主人は多角経営を思い立って、ゴルフの打ちっ放し場でも作ろうと考えたようです。あちこち土地を探していました。紹介されたところがジャングルのようになった湿地帯の休耕田でした。
水がモコモコと湧き出ているのを見ながら、こんな土地で大丈夫だろうかと考えているうち、ウトウトと居眠りをしてしまったみたいなのです」
すると、夢の中に白髭、白装束のおじいさんから「ここじゃ、ここじゃ」というお告げがあった。一見、いい土地ではなかったが、お告げにはさからえない。ここにしようと決めた。調べてみると神主さんの土地だったし、どう見てもゴルフ練習場には向かない。それなら大型の温泉浴場を作ることにした。これからは高齢化社会だから、温泉は喜ばれるだろうというのも決断の理由だった。
「本人が言うには、主人は子どものころに神隠しにあったり、河童と相撲を取ったりと、不思議な体験をしています。私も実家が代々神主だったので、いろいろと常識では説明のできないお話を聞いたり、体験をして育っています。だから、2人とも夢のお告げで決めたこの流れに戸惑うことはありませんでした」たぬき湯
しかし、実際に温泉を作るとなるとたくさんの困難が待ち受けていた。まずは土地買収が大変だった。地権者が12人もいた。どこにいるか探し出し、訪ねて行ってハンコをもらった。それだけで4年もかかった。造成するに当たっても調整区域だったので役所関係の手続きに時間がかかった。さらに、ボーリングを始めたけれどもなかなかお湯が出ない。やっと出たと思ったら温泉として利用する許可をもらうのに時間がかかった。結局、オープンしたのは1993年。お告げがあってから5年がたっていた。よく辛抱したものだ。
「すごいお金をかけていますから後に引けませんでした。でも、お湯が出たとき、ボーリングの業者の人に『こんなお湯、見たことがない』と絶賛していただきました。うれしかったですよ」
豊子さんは繁盛していたすし割烹の店を閉めて「たぬき湯」に専念する。40人を超える従業員を雇い入れ、その先頭に立って働いた。
「年中無休で朝6時から夜中の12時まで営業しました。1日に2000人もお客さんが入りました」
まわりの山林は団地へと様変わりした。子ども連れの若い夫婦がたくさん越してきて、夕方のお風呂は子どもたちでにぎわった。学校から帰るとテーブルの上におやつとお風呂代が置いてあるのだそうだ。子どもたちは誘い合ってたぬき湯へやってくる。バブルがはじけて世の中は大変だったが、鹿児島の子どもたちはまだまだのどかな環境の中で育っていた。 

気功の講座で夫への感謝の気持ちが湧き上がってきた

たぬき湯たぬき湯は順調に業績を伸ばしていたが、豊子さんにはプライベートな面で悩みがあった。武光さんのことだ。
「夫との関係がうまくいっていなくて、夫婦げんかが絶えませんでした。けんかになると、ちゃぶ台をひっくり返したり、物が飛んできたり、大変でした。何度、別れようと思ったことか(笑)」
豊子さんは代々神主の家で生まれて育ったので、小さいころから神事が身近にあった。神道だけでなく、仏教、キリスト教など宗教的なことを勉強する機会もたくさんあった。霊的な能力のある人との付き合いもある。彼女自身にも、神を感じる力があった。
これまでの経験や感覚から、神が人に平穏無事な人生を与えはしないことはよくわかっていた。特に、神主の家に生まれるというのは何か役割があるはず。苦難を乗り越える力が必要な人だから、さまざまなハードルが置かれる。激しい夫婦げんかも、その一つに違いなかった。
とは言っても、肉体をもっている限り、悩めば落ち込むし、苦しめば体調が悪くなる。仕事は楽しかったが、たぬき湯をオープンしたころには、体も心もボロボロの状態だった。
そんなときに出あったのが真氣光という気功だった。ひかれるものがあった。しばらくして右手が急にしびれ出したこともあって、一週間の研修講座に参加した。見えない世界のことはたくさん勉強してきたが、足りなかったジグソーパズルの最後のピースを、その講座で見つけた気がした。
「気を受けたり講義を聞いたりして一日が過ぎていきます。何日目かではっとすることがありました。これまで、私のストレスの原因はすべて夫にあると、ずっと相手を責め、とがめてきました。でも、気を受けていて気づいたのは、すべての原因は自分にあるということでした。自分が変わらなければいけないのだと思うと、涙がとめどなくあふれてきました。バケツ一杯分も出たと思えるほど号泣したのです」
その講座をきっかけに、彼女の武光さんに対する態度はがらりと変わった。
「これまでは夫の寝ている姿や後ろ姿を見ると、『殺してやる!』というくらいの憎しみが湧き上がってきました。しかし、講座から帰ってからは、夫がいたからこそ、大好きなたぬき湯もオープンできたわけだし、『ごめんなさい』『ありがとう』という気持ちで夫を見ることができるようになりました。自分でも驚きました。
ああ、自分は変われたと、うれしくなってきました。そうすると、いい人と出会ったり、いいことに巡り合ったりするようになりました」
これまで顔を合わせると目を吊り上げてにらんでいた妻が、いきなり笑顔で接してくれるようになって武光さんも驚いたことだろう。最初は何か魂胆があるのかと思ったかもしれない。しかし、1ヶ月、2ヶ月、1年、2年と、ずっと笑顔の豊子さんがそばにいる。子どもたちも、従業員もニコニコしている。それにつられてお客さんもご機嫌だ。履物がなくなるといったトラブルもなくなった。いいことが次々と起こってくる。
たぬき湯そんなエネルギーの中にいれば、人は嫌でも変わっていくものだ。いつの間にか、武光さんも怒らなくなり、夫婦げんかのない穏やかな毎日を過ごせるようになった。
「すべてのことは意味があって起こっているのだと思えるようになって、イライラやあせりがなくなりました。新型コロナウイルスでお客さんは減りましたが、これも意味が起こっていると思うと、どっしりと構えていられます。
儲かりもしませんが、損もしません。日本人にとって温泉は癒しの場所です。それをぎりぎりでも維持させてもらっていることに感謝しています」
豊子さん自身、氣をしっかりと充電することで幸せをつかむことができた。たぬき湯に来てくださる人にもお風呂へ入ることで氣を充電してもらいたいということで、真氣光のグッズを使って、場のエネルギーを高める工夫をしている。もともとの素晴らしい泉質のお湯に氣のエネルギーが加わって、つかるだけで元気になれる、幸せになれる温泉が誕生した。
新型コロナウイルスにも負けない温泉。しっかりと氣を充電すれば、怖がらず不安にならず、現実をしっかりと見つめた上で、冷静に対処していくことができる。この温泉に入ると前向きになれると喜んでくれる人も多いと言う。
「たくさんの人にお湯につかっていただき、リラックスすることで免疫力を高め、次の時代に向けてのエネルギーを充電していただきたいですね」
たぬき湯の大切な役割である。

●たぬき湯
鹿児島市伊敷町4467
099-229-2607
http://tanukiyu.jp/