WEB限定記事

い氣い氣ピープル ハッピーライフ

by Yasuhisa Oharada

気やヨガを習ったことで充実の日々がやってきた

~北海道恵庭市・本多健児さん~

 腰痛を治したいという一心で氣功とヨガを始めた本多健児さん(北海道恵庭市・72歳)。体のこと、心のこと、氣のこと。学べば学ぶほどはまっていった。そして、退職後はヨガやアロマセラピーのインストラクターの資格をとり、体調の悪い人の力になりたいとボランティアで飛び回っている。

病気は治してもらうのではなく、自分が主体になって治すもの

 きっかけは腰痛だった。若いころは土木関係の設計の仕事に従事していた。現場へもよく顔を出した。重いものをもったりして、あるとき腰を痛めた。年を取ると、その後遺症が出てきた。動けなくなった。会社を1カ月休むようなこともあったと言う。整形外科はもちろん、鍼灸、整体など、いい先生がいると聞くと飛んでいった。しかし、良くならない。もうこのまま痛みを抱えて生きていかないといけないとあきらめかけたころ、氣功と出あった。

「もう最後の砦でした。手かざしをする氣功だったので宗教っぽいし、すごく警戒しました。ちょうど、オウムのことが騒がれていたころでした。

氣が出る機械があるというのも怪しくて、最初は尻込みしていましたが、思い切って体験会に参加したら、『いいかもしれない』という感覚がありました。

 それで、氣の出る機械を買い、その団体が主催している合宿にも参加しました」

小原田泰久 不思議だった。会長と呼ばれる人が氣を送ると、何かが体の中で動き出すのを感じた。そして、15分ほどの氣の時間が終わると腰の痛みが軽くなった。椅子に腰かけるのがやっとだったのに、床に座ることができるようになった。

 その講座でヨガのことを知った。自分の体に歪みがあって、それが腰痛の原因になっていたことがわかった。

氣功とヨガを学んで、本多さんは大きな気づきを得ることができた。

「ずっと治してもらうことばかりを考えていました。でも、氣功でもヨガでも、最終的に治すのは自分だと教えられました。人に頼り切るのではなく自分でやろうと決心して、氣を受ける瞑想をしたり、ヨガを覚えてやってみたりしました」

 そこから本多さんの腰は回復に向かい、同時に考え方や生活のスタイルがどんどん変わっていったのだ。そして、退職したあとついに、「生きがい」を見出した。

人に喜ばれるのがこんなにもうれしいとは思わなかった

 まず、ヨガを習い始めた。合宿で知り合ったヨガの指導者・龍村修さんが定期的に札幌で教室を開いていた。そこへ通い、インストラクターの資格をとった。

小原田泰久 氣功の団体が主催していた「医者が本音を語る会」が札幌で開かれた。そこで、当時恵み野病院の副院長だった柴田岳三(たけみ)医師との縁ができた。柴田医師は、西洋医学だけでなくさまざまな代替療法を使ってがんの患者さんの治療をする統合医療を目指していた。氣功やヨガも積極的に取り入れようと考えていた。

「先生とご縁ができたのは大きかったですね。タイミングも良くて、私も札幌から病院のある恵み野に引っ越したばかりでした。

 朝から氣功をやっているというので私も参加させてもらって、先生が忙しいときには私が指導させてもらったりしました」

 柴田医師から役割をもらって、もっと氣功を学ぼう、ヨガを勉強しようと、本多さんはますます意欲を高めていった。柴田医師にとっても、本多さんが手伝ってくれることはありがたいことだった。以来、2人のコンビは20年を超える。

小原田泰久「先生が室蘭のホスピスに移ったときも、手伝ってほしいと呼ばれました。またお役に立てると思うとうれしかったですね。

 ホスピスの患者さんは手術を受けているし、点滴もしているし、体のあちこちを触ることができません。でも、手だったら大丈夫なので、ヨガで習った『指ヨガ』という施術をしました。手をていねいにもむと、全身が元気になります。

 そのころ、アロマセラピーのインストラクターの資格もとっていましたので、アロマオイルも使いました」

 とても喜ばれたそうだ。中には、車椅子でしか移動できなかった人が、手もみをしたあと、スタスタと自力で歩いていくという、本多さん自身も驚くようなこともあった。たくさんの人に喜ばれることがこんなにもうれしいものだとは思ってもみなかったと言う。

ヨガ教室、アロマ教室、ボランティア活動を楽しむ

「柴田先生が室蘭から恵庭市に戻ってきて、緩和ケアクリニックを作り、在宅医療を始めました。グループホームも立ち上げ、サービス付高齢者住宅も始めました。70歳で大勝負だと張り切っています」

小原田泰久 本多さんは、介護施設でボランティアを束ねる役割を引き受けた。

「氣功やヨガに出あわなかったら柴田先生との縁もなかったし、ただ腰が痛いだけの人生で終わっていたでしょうね。こんなにも充実した老後が待っているとは思ってもいませんでした」

 本当に何が幸いするかわからない。

 今では、月に2回のヨガ教室と指ヨガ教室、アロマ教室を1回、それにボランティア会議やイベントで月に一度、柴田先生が立ち上げた介護施設に通っている。

「家内も一緒にやっています。私だけが元気では困るので、家内も引っ張り出そうと思いって声をかけました」

愚痴を言っているだけでは物事は好転しない。本多さんのように、少しでも良くしようと動き出すことが大切だ。そうすると、さまざまな変化が起こってくる。それをしっかりと受け止める。出会いを大切にする。そして、まわりの人に喜んでもらう。その積み重ねによって、充実の日々を手に入れることができるのだ。

掲載:2019年4月