WEB限定記事
い氣い氣ピープル ハッピーライフ
by Yasuhisa Oharada
谷底で知った自分の道。技術は人のために役立てるもの
~大阪市・三田村印章店 三田村薫さん
山あり谷あり。それが人生というもの。振り返ってみると、谷間のときが大きな転機になることはよくある。今回紹介する三田村薫さん(59)は、ハンコ職人として「現代の名工」という最高の栄誉にも輝いたが、それまでの道のりは平坦なものではなかった。何度も襲ってきたつらい時期こそが、彼の人生の節目だった。
うつ病になったのがきっかけで印章の美しさを知る
三田村さんは1959年の生まれ。大学を出て就職し、結婚してしばらくしたころに最初の試練に見舞われた。疲れる。眠い。やる気が出ない。何もしたくない。ただ寝ていたい。病院へ行くとうつ病と診断された。会社も休職することになった。
リハビリを兼ねて、家業である印刷物裁断の仕事を手伝ったり、生協で野菜の仕分けのアルバイトをやってみた。しかし、気持ちは前向きになれない。高松にある奥さんの実家から「こっちで静養したほうがいいのでは」と声がかかった。
これが第一の転機だった。
「義父はハンコのケースを作って販売するという仕事をしていました。あるとき、ハンコ職人を集めて勉強会をするというので、私も何となく参加しました。そこで初めて、一流のハンコ職人が作った印影をじっくりと見ました。びっくりしました」
それまでは三文判くらいしか知らなかった。職人が作るハンコには、小さな印面に絵画や書のような得も言われぬ「美」があった。しばらく言葉も出せず見とれていた。
「子どものころは絵や物作りが大好きでしたが、高校生くらいになると受験勉強もしないといけないので疎遠になっていました。印影を見たとき、小さいころのワクワクした気持ちがよみがえってきました」
居ても立ってもいられず、義父の知り合いの職人に弟子入りした。初めてハンコを彫る感覚はとてつもない快感だった。時間を忘れて細かい作業に熱中した。
「すぐにのめり込みました。徐々に要領もわかってきて1年くらいで形になってきました。そのときにふと気づいたのですが、うつ病の症状はすっかり消えていました」
夢中になれるものに出あったことでうつを脱することができたのだ。以来、頭の中はハンコのことばかり。ハンコ職人として生きて行こうと決心した。しかし、このときの三田村さんの年齢は30歳。あまりにも遅いスタートだった。
「どんな職人でも中卒か高卒で始めます。師匠も、私が本気でやるとは思ってなかったみたいです。でも、好きこそものの上手なれで、一生懸命にやっていましたので上達も早かったんでしょうね。何とか一人前にハンコが彫れるようになりました」
よし、道が決まった。これからだ! 気合が入った。ところが好事魔多し。またしても難が訪れた。大阪の実母が手術を受けることになり、高松と大阪との往復が始まったのだ。仕事もある。忙しさとストレスが覆いかぶさってきた。またしてもうつの兆しが出始めた。
「そんなときに家内も病気になりました。大阪では母、家では家内が病気。心労はピークでしたが、『何とかせにゃ』という思いがあって、うつは引っ込んでしまいました」
ぎりぎりのところで踏ん張った。
お客さんの背景を知り、想いを込めてハンコを彫る
奥さんの具合も少し良くなった1996年、大阪へ戻って三田村印章店を開業した。奥さんは真氣光という気功を始めて体調が徐々に良くなり、パートにも出られるようになった。
そのころの三田村さんは、起業してすぐということもあって仕事一筋の毎日。大阪府印章業協同組合の会長職を引き受けることになり、忙しさはピークに達していた。
「毎日のように会議があって家でご飯を食べるのは週に一度くらいでした」
これでは体が参る。三田村さんの場合、心身の悲鳴はうつ病として現れるようだ。2003年9月にはかなり強めのうつ症状が出て、動けなくなってしまった。3度目のうつ。またしても大きな節目を迎えることになった。
「起きていられなくなりました。家内は自分が気功で体調が良くなったので私にしきりにやるようにすすめました。私は理屈が通らないものは納得できないところがあって、気功を怪しいものと決めつけていました。でも、毎日、家内が私に気を入れてくれると変化が起こってきて、歩けるようになったのです。
これは効くかもしれないと思えるようになり、自分からも進んで気功をやり続けたところ、すっかり良くなりました。気功を始めたのも大きな転機でした」
2004年から少しずつ仕事を再開し、2008年には組合の講師にも戻り完全復活。先輩や仲間たちは温かく迎えてくれた。その後、三田村さんを待っていたのは想像もしなかった華やかな世界だった。彼の技術が高く評価されて、2012年には「なにわの名工」と呼ばれる大阪府技能顕巧賞を受賞。さらに2014年には「卓越した技能者表彰」(現代の名工)。
2017年には黄綬褒章を受賞。印影の美に一目ぼれしてから約30年。苦難の壁を一つひとつ乗り超えて、彼は職人として最高の栄誉を次々と受けることになった。
「とても光栄なことですが、私が思っているのは、自分の名声のためにハンコ職人という仕事をしているのではないということです。自分が授かった技術は他人の役に立つために使うものです。
物作りというのは想いを込めることでもあります。知らず知らずのうちに作っているときの気持ちが物に反映されることを、気功を通して学びました。特にハンコは長く使うものだし、実印はここぞというとき、人生の大きな節目に想いを込めて押します。作った人の想い、使う人の想いが運命を左右することがあります」
お客さんと1時間以上話をするのはざらだそうだ。しっかりと話をしてお客さんの背景を知った上で想いを込めて彫る。それが三田村さんの仕事の流儀である。
●三田村印章店
540-0037 大阪市中央区内平野町1-1-6-103
大阪メトロ谷町線「天満橋」駅4番出口徒歩5分 中央線「谷町四丁目」駅4番出口徒歩8分 電話 06-6943-8003 ファックス 06-6943-8002
ホームページ
https://mitamura-inshouten.com/
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