自然栽培の輪が広がっている。特に岡山県は非常に盛んな地域。2010年に「岡山県木村式自然栽培実行委員会」というNPOができた。木村秋則さんの指導を受け、JAとも協力体制をとって、自然栽培の普及に努めている。阿部さんご夫妻が自然栽培を始めたのもNPOが開催した木村さんの講演会を聞いたのがきっかけだった。
「夫は73歳まで小児科医をしていました。農家の一人息子で、父親の遺した田んぼは農協に頼んで耕作してもらっていましたが、木村秋則さんの講演を聞いたとき『これだ!!』と衝撃を受けたようです。すぐに稲作の準備にとりかかりました。
私も農業をやったことありませんでしたが、即座にやってみたいと思ったのです。
農業は一人ではできません。夫婦2人で、重いものは一緒に持ったりしながら助け合ってやっています」
農業を始めると決めた日のことをよく覚えていると言う。田んぼへ行くと、一面にハハコグサが茂っていた。春の七草のひとつ「ゴギョウ」のことで、春から初夏にかけて黄色くて小さな花を咲かせる。それがとてもきれいで、阿部さんはハハコグサの茂る田んぼに横になった。青空が広がっている。気持ち良くて、思わず歌を口ずさんでいた。
「これから始まる新しい生活のことを想像するとうれしくてたまらなくなりました」
何がこれほど阿部さんをワクワクさせたのだろうか。あのときの気持ちは今でも変わらないと言う。自然栽培という農業のやり方が彼女自身のこう生きたいという気持ちに響いたに違いない。とにかく、お米や野菜を作る日々が、67歳から76歳までの9年間、彼女の心をときめかせ続けているのだ。
自然栽培というのは農薬や肥料を使わないで作物を育てる農業のこと。従来の農業を慣行農業と言うが、慣行農業では農薬や肥料は必要不可欠とされてきた。肥料を入れた方がたくさんとれるし、虫や病気を防ぐには農薬を使うのが一番手っ取り早い。除草剤があれば草を取らなくていい。手間をかけずに収量を増やせるということで農薬や肥料は広がった。
自然栽培はその常識を覆した。農薬を使わなくても病気で全滅することもないし、害虫に食べ尽くされもしない。肥料を与えなくてもきちんと育つ。虫や雑草、土の中の微生物たちとの連携して、ウインウインの関係を作り出しているのだ。農薬や肥料を使うと、その関係を壊してしまって、一時的には収量が上がるけれども、決して長くは続かない。人間の健康や環境にも悪影響を与えることになる。
「NPOが主催する田植え祭や勉強会にも参加しました。たくさんの仲間が集まっていて、一人ひとり苦労していますから、その体験を聴くだけでも、いい刺激になります。うまく行かないことがあれば、親切に教えてもらえますし、自然栽培をやっている仲間がいることで助けられています」
自然栽培を始めた人たちは、地域内で白い目で見られることが少なくない。農薬も肥料も使わずに農業をやるというのは常識では考えられないからだ。
「最初のうちはまわりの人は遠巻きに見ていた感じでしたね。変わった人がいるという目で見られていたように思います。でも、こんなにもワクワクすることだから続けようと、まわりのことはあまり気にしないようにしていました。
9年続けていますので、まわりの見る目も変わってきたように思います。今では田んぼは2反5畝(25アール)あって、1反当たり7俵の収穫があります。野菜も一年中何かができます。お米と野菜も、私たち夫婦と14人の子と孫だけでは余るので、お米はNPOに5~6俵供出し、また子ども食堂に寄贈したりしています」
新しいことに挑戦する人は奇異の目で見られるものだ。受け入れられるには続けるしかない。続けるには仲間が必要だ。阿部さんのように、9年もコツコツと続けて、結果も出しているのだから、周囲も認めざるを得ない。もっとも、まわりに認めてもらうためにやっているわけではない。自然栽培という農業のやり方に阿部さんご夫妻は大切な何かを見出し、喜びを感じているからこそ、9年も続けることができたのだ。
「収穫だけを求める農業はそろそろ変わっていかないといけないと思っています。それに、木村さんのおっしゃった『自然栽培を続けて行くと、人の心は謙虚に清らかになる』という言葉が忘れられないですね。木村さんの話を聞いて、私たち夫婦も、人生の晩年は子どものときのように謙虚で清らかな気持ちになって生きたいと思いました。
木村さんは本当にすごいと思います。木村さんに会いに2人で青森まで行ったこともあります」
慣行栽培の根底には自然を支配して自分たちに都合のいい結果を出そうという近代社会のごう慢さが見え隠れする。自然栽培をしていると、自然の恵みを我々がいただくという謙虚さが生まれてくる。そして、すべての自然の営みに感謝できる清らかさ。人間も自然の一部だということを体感することができるのだ。
阿部さんが自然栽培に魅かれたのは、1995年から気功(真氣光)をやってきたのと無縁ではないだろう。
気にかかわってから目に見えない力を大事にして生きてきた。自然に生かされている自分を感じてきたからこそ、自然を主人公とした自然栽培に共鳴したのだろう。
農業、それも自然栽培をやるのは大変だと思っている人も多いかと思う。しかし、阿部さんご夫妻は、ご主人が70歳を過ぎてから、真子さんが60代後半に始めている。そして、いわゆる後期高齢者になっても、まだまだ現役で田んぼや畑に出ているのだ。すばらしいお手本だ。いくつになってからでも、やろうという気持ちさえあれば始められる。最初は家庭菜園のレベルでいいので、ぜひ自然栽培にチャレンジしていただきたい。
阿部真子さん
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