WEB限定記事

い氣い氣ピープル ハッピーライフ

by Yasuhisa Oharada

いくつもの苦難を乗り越え夢に近づく

~愛知県・山口博子さん

 人生、山あり谷あり。夢に向かって順調に進んできたはずが、さまざまな苦難を強いられ、それでも夢を忘れず一歩一歩、歩み続けてきた山口博子さん(61)。やっと雪解けの日々を迎えている。

牛を飼いたい。少女の夢は意外な形で実現したが

山口博子 「牛を飼いたい」
山口さんの高校時代の夢だった。
 「とにかく動物が大好きでした。住まいが名古屋の街中だったので、大きな動物は無理で、鳥や犬を飼うのが一番の楽しみでした。夢はいつか北海道へ行って牛のお世話をすることでした」
 十代の女の子としてはかなりユニークな夢だ。でも、なぜ牛なのだろうか?
 「目がかわいいんです。目を見ていると癒されます」
わかるような気がする。牛や馬の目は澄んだ湖のようで吸い込まれそうになる。少女はあの目に夢中だった。
 山口さんの夢は意外な形で実現した。高3のときに病気になり就職ができなくなってしまった。仕方なくバイトを始めた。そこで一人の男性と出会う。
 何とその人が牛を買い付けて売る仕事をしていたというわけだ。一目見たとき、彼が牛の関係の仕事をしているとも知らないのに、「この人と結婚する」と感じたと言う。彼女ならではの独特の感性。後年、彼女は「気」という生命の根源とも言われる見えないエネルギーのことを学ぶのだが、このころから目に見えない力に感応する力があったのだろう。
山口博子 「彼は牛を飼っているわけではありませんでしたが、牛とかかわっていると知ってワクワクしました。運命的なものを感じましたね」
 まさしく運命。恋と夢とが同時に手に入ったのだ。1980年(昭和55年)に山口さんは“運命の人”と結婚をした。
 結婚後しばらくして、夢の実現にまた一歩近づいた。夫が牛を飼育する仕事を始めたのだ。ついに「牛を飼う」ところまでたどり着いた。北海道ではなく愛知県内だったが、場所はどこでもいい。牛がいれば満足だった。
 順風満帆な滑り出しだった。ところが、夢がかなって万々歳とはならないことはよくある。その後、山口さんの身に次々と難題が降りかかることになった。
 「牛がそばにいるのにどうして・・・と思うこともありました」
 最初のストレスは姑との関係だった。姑は思ったことをすぐに口にする人だった。家事、子育てに対しても、ずけずけと心に突き刺さることを言ってくる。嫁という立場で言い返すこともできない。牛の世話で忙しく働いている夫に愚痴をこぼすこともできなかった。夫は子牛の買い付けで家を留守にすることもよくあった。ストレスを一人で抱え、悶々とする日々が続いた。
 「頭痛がひどくて、一度痛み出すと、何もできなくなってしまいます」
 休んでいても姑の目が気になる。すぐ近くに大好きな牛がいるのに、彼女の心は一向に癒されなかった。

次々と降りかかる苦難。気功を再開することで事態は好転

 ストレスと頭痛が一段落したと思ったら、次なるトラブルに見舞われた。1994年(平成6年)、夫がてんかん発作を起こすようになったのだ。発作は寝ているときだけだったが、だからと言って昼間は起きないとは言い切れない。いつ倒れるかわからない。仕事に出ている夫が心配でたまらなかった。そこに姑の介護も重なった。気が休まる暇がまったくなかった。
 てんかんの発作が出なくなると、これでもかと畳みかけるように、高校生だった次男が、学校でのいじめが原因で精神的に不安定になった。まるで別人のように心を閉ざし入院もした。
山口博子 「農業高校へ通っていました。長男がサラリーマンになっていたので、自分が父の仕事を継ぐつもりだったのかもしれません」
 真面目で親思いの息子さんだった。やさしいが故に人間関係で悩み抜き、心に大きなダメージを負ってしまったのだろう。今は回復して家の仕事を手伝っているそうだ。
 ここまでの山口さん。どんなにかつらかっただろう。せっかく牛にたどり着いたのにほかのことで振り回されてしまう。
 もうこれで終わりにしてほしいと願ったはずだ。ところがまだ終わらない。次の“不幸”が襲いかかった。
 「娘の夫が仕事中の事故で亡くなってしまいました。26歳でした。娘には2人の子どもがいて、下の子はまだ1歳でした」
 何と言うことだ。夢を叶えるためにはこんなにも大きな代償を払わないといけないのだろうか。なんて世の中は理不尽にできているのだ。どうしたらこの悪循環から脱することができるだろう。山口さんはできるだけ冷静になろうと努めた。考えた。考え続けるうちにぼんやりと灯が見えてきた。
 苦しみつらさを味わうたびに彼女の救いとなったのは気功(真氣光)だった。気を受けていると心が落ち着き、希望が湧いてくる。思い返せば、ストレス性の頭痛に悩まされたときも夫のてんかんも気功の合宿(真氣光研修講座)に出ることで改善したではないか。その気功ともしばらく離れていた。もう一度、真剣に取り組んでみよう。そう決めて、再度、合宿にも参加した。
 気功が生活の柱になると、状況は少しずつ好転し始めた。介護をしていた姑は、山口さんにとてもやさしく接してくれるようになり、90歳のときに老衰で息を引き取った。その後2016年には、サラリーマンの長男が結婚を機に会社を辞めて家の仕事を手伝ってくれることになった。
山口博子「気功を再開して気持ちがとても安定するようになりました。私がイライラしていると家族全体がぎくしゃくしてしまいます。長男も帰ってきてくれたことで、夫にも私にも余裕が出てきました。
 結婚して35年以上たってやっと牛の世話に集中できるようになりました」
 毎朝、牛舎へ行くと、必ず牛たちに声をかける。
 「おはよう。今日はどう? 元気?」
 マッサージも欠かさない。そのときに氣のグッズを使う。セラミック製のローラー状の小さなマッサージ機。いいエネルギーが出ていると聞いているが、実際には目に見えないものなので定かではない。
 「牛は本当に気持ちよさそうにしています。きっと気を感じているのだと思います。これまで十分にお世話ができなかった分、精いっぱい愛情をかけようと思っています。私たちの生活は牛たちに支えられています。成長した牛たちは肉になって多くの人の食を支えてくれています。そのことにも感謝し、大事に大事に育てています」
 苦難の日々が続いた。しかし、「今が一番幸せです」と言う。つらい日々があったおかげで、牛への愛情も家族の絆も深まった。雨降って地固まる。これからが山口さんの本当の夢の実現だ。

山口牧場(愛知県安城市) 0566-76-3986