今年はことごとく、コンサートや講座等が中止となりました。特に、50歳の節目コンサートを、高校時代の同級生と4人、大きなホールで開催しようと、昨年1月からコンサートを企画していたのです。「ホールを一年半前に予約するのだから、コンサートの日まで、まずは病気にならないようにしなきゃね。」と、私達は健康であることを約束し合ったのですが、まさかこのコロナ禍で中止になるとは、あの頃は思ってもいませんでした。
話は変わりますが、私は幼い頃、人見知り、引っ込み思案、あがり症でした。しかも自分の声は嫌い。それなのになぜ、今は人前で歌っているのでしょう?不思議に思う時があります。
私は6歳でピアノを始めました。ある日、ピアノの先生と母から「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれました。ほんのリップサービスのつもりで「ピアノの先生」と言ったのです。そこから、先生と母が「それならば」と私の進路の計画を立ててくださって、その通りに進んでいきました。ピアノは嫌いではありませんでしたが、練習は何時間もかけて、何度も弾けない所を弾けるようにしなければならず、大変なことばかりで好きではありませんでした。しかし、私にはピアノしか得意なものがないと思っていましたので、音楽高校へ進学を決めたのです。その頃一度、声楽のレッスンを受けました。すると、声楽の先生から「ピアノより歌の方が合ってるよ。声楽科に変更したら?」と言われたのです。先生から両親にその話があった時、父は「そんな声で歌えるのか?」と言って、驚いていました。先生は「良い声ですよ。」と言ってくださり、その時、私は初めてピアノ以外で得意になれそうなものと出合ったのでした。
その後、音大の付属高校に声楽科として入学し、先に出てきた同級生たちと出会うことになるのです。無事に音大を卒業した私は、オペラ団体の研究生となりました。そこで、現実にぶつかりました。「声楽科って、人前で歌うのね・・・」と。「人前で歌う」という考えはありませんでした。もともと引っ込み思案であがり症でしたから、人前で歌いたいとは全然思えなかったのです。どうしましょう?
この後の話は来月に続く…ことにいたしまして、さて、冒頭に出てきた同級生4人でのコンサートですが、大きなホールでの公演を断念し、サロンで開催することとなりました。窓が沢山あり、休憩中も充分な空気の入れ替えができる所に場所を移しての開催です。歌とヴァイオリンとピアノのコンサートで、誰でも参加できる様に、よく知っている曲ばかりをプログラムに取り入れています。年内は全く無理だと思い、氣を落としていた私たちですが、やり方を少し変えればできる事に氣付き、また、ちょうどよい会場が見つかった事に感謝しています。コロナ禍で、色々な変更がありましたが、そのことで私達は、考えがまとまり、より団結できたのではないかと思います。