引っ込み思案であがり症だった私が、オペラ団体の研究生となり、そこで「人前で歌わなければならない」のだという事に直面した、というところまで先月号でお話しさせていただきました。
人前へ出て歌いたいだなんて、全然思えないまま、オペラの授業を受け続けていました。クラスメイトは皆、やる気に満ちていて「この場面は誰がやる?」と指揮の先生が問いかけると直ぐに「私がやります!」と次々に手が挙がるのです。私はひたすら「当たりませんように」と息をひそめており、早く授業が終わらないかと思っていました。ところが、その頃の私の声域はメゾソプラノで、ソプラノに比べると4分の1の人数、尚且つ貴重な役どころでしたので、直ぐに出番が来てしまうのです。人の前で、特に同業者の前で歌うだなんて、すごい緊張です。失敗すると「バカヤロー!」と先生の怒鳴り声が飛んできます。次へ進まず何度も同じ場面をやり直しさせられていると、クラスメイトからもため息が漏れてきます。「どうしてこんな所へ来てしまったのだろう?」と何度も思いました。
オペラの授業ではそのように過ごしていましたが、決して歌う事、演じる事が嫌いな訳ではありませんでした。他のオペラ団体の公演に、コーラスで何度か出させていただいた時には、演技もダンスも歌も、とても楽しくできて、オペラっていいなと思っていました。要するに、人前でプレッシャーの中歌うのが嫌いだったのです。
ある日、父に言われました。「どうだ、研修講座で歌わないか?講義ばかりじゃなく、ホッとできる音楽会を間に入れたいんだ」と。「えーっ!とんでもない」と心で思ったのに、口から思わず出た言葉が「いいよ、歌わせてください」でした。そこから、私の月一回の「音感行法」が始まりました。
何度か音感行法を続けるうちに、人前で歌う事には抵抗が無くなりました。その要因の一つは「身の丈を知った」事だと思います。音感行法で失敗を何度か繰り返し、その度に恥ずかしいという思いや、反省を重ねました。そこから自分の今の技量が分かってきて、それ以上の事などできないのだという事に氣づきました。「自分をよく見せる」のではなく「今の自分を知ってもらう」ように気持ちを変えると、とても楽になり、伸び伸びと歌うことができるようになったのです。
音感行法を通じて、もう一つ分かったことがあります。歌っている本人が、感動しながら歌わなければ、聴いている人にその歌の良さを分かってもらうことはできないということです。ですから、歌う時は、その歌の情景を思い浮かべ、その情景の中で歌詞に寄り添い、音楽に感動しながら歌っています。それが多分、氣の入った歌になるのだと思います。氣を込めて歌う同じその口で、悪い言葉やマイナスな事は、なるべく言わないように氣をつけています。声は正直なので、歌う前には明るい心持ちでいる事も氣をつけている事です。
今は、皆さんのお顔を拝見しながら歌わせていただける事を、とても有り難いことと思っています。今後も皆さんの氣持ちに寄り添える歌が歌えるよう、精進してまいります。