帯津良一
vol. 124
<患者さんより一歩でも二歩でも死に近いところに立つ>

 今年の誕生日で83歳になりました。83歳というのは、ひとつの目標でした。と言うのは、江戸時代の名僧としてよく知られている白隠禅師が83歳まで生きたからです。私は昔から白隠禅師が大好きで、好きが高じて、親しみを込めて「白隠さん」と呼んでいます。

 私はこの白隠さんと貝原益軒、佐藤一斎を江戸時代の三大養生家と位置付けています。生まれた順番で言えば、貝原益軒(16301714年)、白隠さん(16861769年)、佐藤一斎(17721859年)となります。貝原益軒は84歳まで、佐藤一斎は87歳まで生きました。

 3人ともさすがに大養生家で、江戸時代としては大変な長寿でした。

 私は70歳になったとき、「これからは今日が最後の日だ」と思って毎日を生きようと決心しました。私の病院には、がんの患者さんがたくさん入院しています。それもかなり重度の人ばかりです。みなさん、死に対する不安をもっています。不安を感じると自然治癒力は低下します。ですから、あまり不安をもたないほうがいいのですが、がんと診断されて、それもかなり進行しているとなると、不安をもつなというのは無理な話です。不安や恐怖に押しつぶされそうになっている患者さんの心を少しでも安定させてあげるのも、私たち医療者の役割です。

 しかし、慰めたり励ましても、患者さんの落ち込んだ気持ちは回復しません。どうしたらいいだろうかと考えていたときに読んだのが、青木新門さんの「納棺夫日記」でした。納棺夫というのは、ご遺体を棺に納める人のことです。新門さんは、その仕事に従事しながら、死について考え続けてきました。その本の中に、死に直面して不安になっている人を癒すことができるのは、その人よりも1歩でも2歩でも死に近いところに立つことができる人だ、といったことが書かれていました。私は「これだ!」と思いました。私たち医

療者は、患者さんたちよりも1歩だけでも死に近いところに立っている必要があるのです。そのために、私は「今日が最後の日だ」と思って一日を生きようと決めたのです。朝、目が覚めたら、「今日が最後。精いっぱい生きよう」と声に出して言うことにしています。

<生きながらにして虚空と一体になるのが修行の目的>

 今日が最後だと思って毎日を過ごしている私が、白隠さんの83歳を目標にするというのは、矛盾があると思われるでしょう。確かに矛盾ですが、今日死んでもまったく悔いがないのも本心だし、80歳を過ぎたころから、白隠さんに並ぶのが楽しみで仕方なくなったのも、また私の本心なのです。

 白隠さんに親近感を感じると言いましたが、その理由として、白隠さんが呼吸法の大先輩だということがあります。私は調和道丹田呼吸法を長くやっています。調和道協会の三代目の会長も務めました。この呼吸法は、白隠さんの呼吸法の流れからくるものです。貝原益軒や佐藤一斎も呼吸法について書き遺しています。しかし、その重みは白隠さんが一番ではないでしょうか。

 白隠さんは、静岡県にある松蔭寺というお寺の住職でした。たくさんの若いお坊さんたちが、彼のもとで修業をしていました。禅宗の修行ですからものすごく厳しくて、倒れたり、精神を病んだり、死んでしまう人もいました。白隠さんのお墓のまわりには、たくさんの若いお坊さんたちの墓があります。修行で亡なった方々ではないでしょうか。

 白隠さんも若いころには、厳しい修行のために病気になって苦しんだことがあります。そのときに、「内観の法」という呼吸法で病気を克服しました。その経験から、若い僧たちにも、内観の法の指導をしました。この呼吸法は、中国の道教系の気功を取り入れたものだと思われます。

 白隠さんは、病気になって命を落とすかもしれない若者たちに、一生懸命に内観の法を教えました。将来性のある若い僧たちの人生がかかっているのですから、真剣そのものだったでしょう。ただの健康法というわけにはいかないのです。

 だからこそ、白隠さんの呼吸法には鬼気迫るものがあるのです。内観の法は、逆式呼吸法と言って、息を吐いたときにお腹をせり出しますが、白隠さんは、どれだけこの呼吸法をやればそんなになるのかと思われるような立派なお腹をしていたようです。

 もうひとつ、私が白隠さんに親しみを感じるのは、虚空について言及しているからです。虚空というのはこの宇宙全体を包み込む無限の時空を言います。内観の法を習った若い修行僧は呼吸法に勤しみます。それを見て、白隠さんは呼吸法を一生懸命にやって健康になったところで意味はないと言い放ちます。生きながらにして虚空と一体になることが大事なのだと言うのです。

 修行というと、宙に浮いたり、水の上を走ったりする特殊能力を得ることを目的とする者もいたでしょうが、そんなことは枝葉末節(しようまっせつ)に過ぎないと、白隠さんは厳しく言います。虚空の話こそ、白隠さんの真骨頂です。その白隠さんが亡くなった年齢に私も届いたということは、とてもうれしいことです。日々、今日が最後と思いつつも、目標をもつこと。矛盾とも思えるような縦糸と横糸が、思わぬときめきを生み出してくれます。次は貝原益軒の84歳がちらちらと視野に入ってきました。