帯津良一
vol. 125
<氣が不足せずスムーズに巡ることで健康になれる>

 養生というのは生命のエネルギー、つまり生命力を高めることです。この生命エネルギーのことを、中国医学では

「氣」と言っています。生まれつきもっているエネルギーを「先天の氣」、飲食などをとおして得たエネルギーを「後天の氣」、先天の氣と後天の氣が結合したものを「真氣」とか「正氣」「元氣」と言います。

 この氣がからだの中をスムーズに巡っていると健康であり、氣が足りなかったり流れが滞ると病気になるとされています。鍼灸治療では、経けいらくと言われる氣の通り道を刺激することで氣の流れを良くして病気を治します。氣が流れるルートである経けいみゃくとそこから分かれた絡らくみゃくを合わせて経絡と言っています。

 また、氣の流れを考える上でとても重要なのが丹たんでんです。丹田の「丹」は道教で言う丹薬(生命を育む秘薬)のことで、「田」は文字通り田んぼです。丹田は生命の源です。へその下9センチほどのところにあり、そこへ氣が集まり、そこで氣が練られて、躍動する氣(動氣)が全身に巡って行くのです。

 丹田に氣を集めるには、氣功の三要素である「調身」「調息」「調心」が大切です。まずは調身、姿勢を正すことです。氣功や太極拳では、上半身の力を抜いて下半身に力をみなぎらせる「上じょう

きょじつ」を意識することが基本です。調息は呼吸のことです。吐く息を重視して長く深い呼吸を心がけてください。調心は気持ちの持ち方。私流に言えば、ときめきをもって生きることです。

 私は学生時代に空手をやっていましたので、そのころから丹田を意識していました。調和道丹田呼吸法も習っていましたので、丹田の存在は当たり前のように思っていました。

 外科医として手術をするとき、へそ下9センチほどのところには何があるのか、調べたことがあります。そこには小腸があるのみで、丹田は実体としては見つけることができませんでした。

 西洋医学では、解剖して見つからなければないものとします。丹田はどうあっても見つかりません。経絡もありません。まして、氣など、どうがんばっても見つけ出すことができません。ですから、西洋医学では氣の存在を認められないのです。

 私が手術をしていて気になったのは、臓器と臓器の間にある空間でした。からだの中は隙間だらけです。この空間に生命エネルギー、つまり氣が詰まっているのではと、私は考えました。そこには空気があるわけでもないし、真空でもありません。何かがあるのですが、何かわかりません。それを氣と考えても不都合はないだろうと思います。

 そして、氣は臓器と臓器をつなぐ役割を果たしているのではないかと考えました。臓器は独立して機能しているわけではなく、それぞれが影響を与え合っています。中国医学ではそう考えられています。つまり、氣をとおして情報が行き来することで、からだの中の秩序が保たれているのではないでしょうか。

<オドオドしたりビクビクするのもときめくためには大切なこと>

 そう考えていくと、中国医学は西洋医学よりもはるかに奥深い医学です。私は、中国医学にこそいのちの正体をつかむ鍵があるのではないかと思いました。そして、実際に中国へ行ってどのような医療が行われているのを見学し、氣功こそ中国医学のエースだと感じ、がん治療に氣功を取り入れることにしました。

 治療ばかりではなく、日常生活の中にも氣の考え方を取り入れるといいと思います。

 たとえば、貝原益軒は、身分の高い人に対してものを言うとき、忙しいとき、やむを得ず人と論争するときには、丹田に氣を集めるといいと言っています。へその下9センチの丹田を意識して、そこに氣が集まってくるとイメージしてください。そうするとからだにもこころにも力がみなぎってきます。

 しかし、偉い人と会ったり、忙しかったり、だれかと論争したときも、気持ちが委縮することを怖れすぎないようにしてください。オドオドしたりビクビクするのも必要なことなのです。

 ある講演会で70歳くらいの男性が手を挙げて質問しました。

 「何があっても平然と生きるにはどうしたらいいでしょうか?」

 動じないこころが大事だと、その人は思い込んでいるようです。私は言いました。

 「平然としていると、こころがときめきません。落ち込んだり悩んだりするからこそ、ときめきがあるのです。平然としていることなどありません」

 そう答えたら、きょとんとした顔をして席に座りました。

 へそ下9センチの丹田に意識を向けるのは、何も平然としているためではありません。偉い人に会って緊張して何も話せなかったとしても、丹田に氣をためておけば、ただ声をかけてもらっただけで大きなときめきがあるはずです。そのときめいている自分を感じてくれた偉い人は、きっとその人のことを記憶にとどめてくれて、次に会ったときに声をかけてくれたりします。忙しいときも、丹田に氣が満ちていれば乗り切ることができます。論争して負けたとしても相手との関係が論争をきっかけに好転することもあります。

 丹田を意識して氣を集めるのは、決して強い自分を作るためではありません。自分らしい自分でいられるので、強みはほめてもらえるし、弱みは応援してくれ、いろいろなことがいい方向に動き出します。私は、自分に正直に、オドオドビクビクしながら生きていこうと

思っています。