「お百姓さんになりたい」というドキュメンタリー映画が公開された。埼玉県の三芳町というところで自然栽培をしている明石農園の1年を撮ったものだと言う。明石農園には2度ほど見学にうかがったことがある。若い農園主の明石誠一さんがていねいに畑を案内してくれた。
印象に残っているのは、できるだけ畑にあるものは持ち出さず、畑の外からは持ち込まないという姿勢だった。たとえば、刈った草をどうするか。
その草は畑の隅に積み上げておく。そうするとどうなるか。土に変わっていくのだ。最初のうちは虫も発生する。しかし、土に変化するにつれて虫はいなくなる。草から変化した土に触らせてもらった。さらさらしていてとても気持ちがいい。自然の摂理を目の当たりに見た気がした。
「畑にあるもので無駄なものは何一つないですよ」
確か、そんなことを話してくれた。映画では、明石さんの自然を見るまなざしが描かれている。
彼の社会に対する問題意識は小学生のころから芽生えていたようだ。
「だれもが自分らしく生きられる社会は作れないものか」
サッカー少年だった。プロサッカー選手になりたくて体育大学に進んだ。運動能力には自信があったが、体育大学には自分よりもはるかにレベルの高い人がごろごろいた。進む道はそちらではないと知った。自分探しが始まった。何をしたいのだろうか?
さまざまな仕事を見て歩くうち、「農業」というキーワードが見つかった。しかし、ただの農業では自分を表現できない。もっと自然を大切にした、自然と共存する農業があるはずだ。
28歳のときに4アール(1アールは10メートル×10メートル)の荒れ地を借りて畑を始めた。農薬や化学肥料は使わない。そう決めたものの簡単にできるはずもない。試行錯誤の日々が続く。幸い、この地域には同じような農業を目指す仲間がいた。彼らと支え合いながら一歩一歩、前へ進んでいった。
種も市販のものを買わず、すべて自己採種でまかなっている。種をまいて芽が出て実がなり、それを人間がいただき、種を取ってそれをまく。そこからまた芽が出る。そういう循環こそ自然のあり方だから。
市販のものだとほぼ同じ大きさ、形の作物ができる。市場が喜ぶ野菜の形だ。しかし、それでいいのだろうか? 大きいのがあったり、小さいのがあったり、いびつな形だったり、多種多様なものが一緒に育つのが自然ではないだろうか。不揃いな野菜を見ることで、彼はほっとすると言う。人間社会だって同じじゃないだろうか?