樋口さんの講演に先立って、村田さんがあいさつに立った。
「安全神話が崩壊しながら再稼働を認めることは無責任・不道徳です。しかも原発の安全に責任 がないとする原子力規制委員会に再稼働を容認する権限を与えるお粗末さは恥ずべきことです。 『天てん網もう恢かい恢かい疎そにして漏らさず』の正しさを日本は実証しています」
厳しい言葉を投げかけた。「天網恢恢疎にして漏らさず」とは、 天罰を逃れることはできないという意味だ。 9年前に嫌というほど 原発の危険性を見せつけられながらも、のど元過ぎれば熱さを忘れ、再稼働をしようとしている。その行為は、まさに天につばするようなものだと言う。今、国民一人ひとりが目覚めないと、さらなる悲劇が 起こるかもしれない。そこまで追い込まれているのが現状だと自覚しないといけない。
平日の講演会に多くの市民が 駆け付けたことはひとつの光明だが、まだまだ加速が必要だ。意識の高い人たちを核として何が大切なのかを真剣に考え、議論する輪 を広げていかないといけない。
樋口さんが登壇した。力みのない柔らかなトーンで話は始まった。静かな物腰であっても、揺るぎのない強固なエネルギーに包まれているのを感じる。
国策としての原発推進。それにストップをかけるのは勇気が 必要だったと思うが、樋口さんは 「論理的に考えれば答えは自ずと出る」と淡々と語る。専門知識とかイデオロギーといった難しい話をしなくても、普通の人が常識的に考えれば、原発の危険性はわかること。まして、事故が起こればどんなことになるのか、私たちは目の当たりにしている。
だれの目にも明らかな原発の危険性。差し止めは裁判官として 「当たり前の行為」だと言う。しかし、福島原発事故後、原発の運転を止めた裁判長は2人しかいない。運転を認めたのは18人。なぜそんなことが起こるのか。多くの裁判官が「原発は安全なのかどうか」というもっとも大切な点を争点にしていないからだ。原子力規制員会が出した基準に合っていれば稼働を認めている。原子力規制員会は「安全に責任はもたない」とはっきりと言っているにも かかわらずだ。
日本の社会は大きく歪んでしまっている。原発は危険だから止めましょうという当たり前のことが当たり前でなくなってしまっている。当然の判決を出す裁判長は1割の変わり者にされてしまう。
政府や行政、司法が信じられなくなっているのは、さまざまな社会の動きを見ていればわかるはずだ。原発についても、国に任せる、従うという姿勢ではなく、自分たちが安全に暮らせて、希望ある未来を創るにはどうしたらいいのか、本気で考えて行動する必要がある。
私たちにできることは何があるでしょう? 会場からの質問に樋口さんはこう答えた。
「まずは事実を知ることです。 知った事実は大切な人に伝えてください。そして、原発由来の電力を使わないようにする。選挙も大切です。脱原発を訴える候補者に投票してください」
1人の力は非力かもしれないけれども無力ではない。集まれば大きな力になる。樋口さんの締めの言葉に勇気をもらって会場をあとにした。
* 樋口さんは、本誌2019年6月号で中川会長と対談してい ます。