この日のゲストは福島県の同慶寺住職・田中徳雲さん。東日本大震災で大事故を起こした福島第一原発から17キロの地点にある同慶寺というお寺の住職だ。地震では、本堂の土壁が崩れ、瓦が落ちてお寺は半壊状態になった。扉やサッシがゆがんで鍵も閉まらず、 仏像の損傷もひどかったと言う。原発事故があって突然の避難命令。家族と一緒に福井県へ。しかし、全国に離散した檀信徒のことが気になって仕方ない。3月末には単身で福島へ戻った。今は、いわき市に家族と暮らし、75キロ離れたお寺まで毎日車で通っていると言う。
若いころから、便利な生活のために、自然を犠牲にし、経済ばかりを求める社会に疑問を感じていた。原発の危険性に対しても、ずっと発言を続けてきた。
「便利な時代の恩恵を受けて生活してきた私たちは、被害者であると同時に加害者でもあることを自覚し、反省しないといけません。 私たちは今、生き方を問われていると思います。
原発は仏教的にはアウトです。 仏教ではすべての命は平等で、傷つけたり殺したりしてはいけないと説いています。原発事故が起こってどうなったか。故郷を追われた人がたくさんいます。放射能汚染により、先祖伝来の土地、田畑、そして 生き甲斐となる仕事を奪われた人々の精神的なショックは筆舌に尽くしがたいものです。病気になる人、亡くなる人もいます。そういうものを簡単に進めてはいけないですよ」 彼は、新しい価値観を提案し、自らも実践している。たとえば食をどうするか。世界中の食べ物を欲しがる必要などない。自分たちで作ったものを食べればいいと、農業を始めた。子どもたちを集めて野菜を作り、収穫したらみんなで食べる。そういう生活がどれだけ豊かなのかを、実際に農作業をしながら説いている。さらには、 私たちの命を支えてくれている大地に感謝をしないといけないと、 徳雲さんは「歩くことで大地を感じよう」というイベントを行っている。言葉だけでは通じないことが多い。実際に大地を感じるにはどうしたらいいか。意識のスイッ チを入れ替えさえすれば、歩くという日常的なことであっても気づけることはたくさんある。
なるべく物を持たない生活。仏教では「足るを知る」と教えている。あれもほしい、これがあったら便利なのにと、人の欲望を刺激することで、現代の経済優先社会は作られてきた。そろそろ欲望に任せて生きるのはやめたほうがいい。必要最小限のものに満足し感謝して暮らす生活を取り戻そう。 江戸時代に戻る必要はない。現代人が欲望を半分にするだけで社会はがらりと変わってしまうはずだ。足りないものは補い合えばいい。みんなで助け合う生活を体験して、人と人とがつながることがこんなにも気持ちいいのだと感じてもらう。
地球に生きる一員としてのライフスタイルを、徳雲さんも模索しながら、縁のあった人たちと一つ ひとつ形にしていっているのだ。
彼は宗教者として、宗派の垣根をなくしたいと思っている。曹洞宗であろうと浄土真宗であろうと、本来は人の幸せを願うものだ。キリスト教もイスラム教も同じ。命を見つめて、生き方や心のあり方を説いていくことが宗教の役割だ。本来の宗教のあり方を見直したいというも、徳雲さんの願いだ。
昨年の 11 月には来日していた ローマカトリック教会のフランシ スコ教皇と東日本大震災の被災者 との集いでスピーチをした。地元 のカトリック教会の推薦で決まっ たことだった。
これまでさまざまな“浄化”が あったが、新型コロナウイルスはだれもが当事者という面で、とてつもなく大きなハードルだと思う。これを乗り切るには、人類がいかに力を合わせることができるかがカギだろう。それも、ただウイルスをやっつけるということでなく、もう一段レベルの高い解決法を、私たちは見つけないといけないのではないだろうか。