ハイゲンキ行動派たちの新世紀 vol. 190
月刊ハイゲンキ
2018年3月号 掲載記事

きっかけは真氣光 ボランティアでヨガ教室を開く

最初はいくら ハイゲンキを当てても 腰は良くならなかった

 年末の札幌。何年ぶりになるだろうか、札幌センターで北海道恵庭市の本多健児さんにお会いした。

「腰痛はいかがですか?」

 久しぶりの再会での私の第一声だ。本多さんというと、ひどい腰痛で困っていた人というイメージが強い。

小原田泰久「いやあ、もうすっかりいいですよ」

 と、にこやかな表情で答えてくれた。

 本多さんは、月に一度、札幌センターでヨガ教室を開いている。平成20年からだから、今年で10年目となる。

「真氣光にはずいぶんとお世話になりました。おかげで腰も良くなったし、真氣光を通していろいろな人との縁もできました。真氣光に出会わなかったらきっと寂しい人生だっただろうと思います。腰が痛くて会社にも迷惑をかけ続けただろうし、退職してもやることもなく、今頃はヨタヨタしていたのではないでしょうか(笑)。

 10年前、60歳で定年になったとき、真氣光に恩返しがしたいと思いました。真氣光で縁ができた龍村修先生にずっとヨガを習っていて、インストラクターの資格もいただいていたので、ボランティアでヨガ教室をさせてもらえないかと、札幌センターの大沢さんに相談しました。そしたら、大沢さんが会長にも相談してくださったと思うのですが、やってくださいということになって始めたわけです」

 本多さんの真氣光歴はずいぶんと古い。「真氣光を知ったのですか。いつごろだったかなあ」と本多さんは記憶をたどる。しばらく考えて、「確か、平成4年だったと思います。札幌で移動体験会があったときです」と答えを引っ張り出した。もう25年も前のことだ。

「それで、真氣光研修講座へは下田の終りごろ、平成5年に初めて参加して、平成6年の生駒の第1回にも行っているし、全部で7回参加しました」

 話しているうちに、記憶がどんどんとよみがえってきたようだ。

 本多さんは移動体験会のチラシで真氣光のことを知った。当時、腰の痛みで悩んでいた。とにかく半端な痛みではなかった。ぎっくり腰を繰り返し、ついには動けなくなって会社を半年も休むことになった。

「会社へは復帰しましたが、それでもちょっと腰を曲げたりしゃがんだりした拍子にがくっとくるともう1ヶ月くらい動けなくなってしまう状態でした。まわりの人も心配してくれて、いい病院や腕がいいと言われている治療家を紹介してくれました。でも、なかなか良くなっていきません。真氣光は最後の砦でした。当時は氣功というと宗教的なイメージがあって、私も気が進みませんでしたが、どうしようもないので、体験会に行ってみることにしました」

 オウム真理教が問題になっていた時期で、世間では氣功とかヨガは、ひとまとめに怪しいものとされていた。

「会場が悪かった。神社の境内にある会館でした。やっぱり宗教かと思いました。恐る恐る会場に入ると、先代の会長の写真が置いてありましたが、それらしい人はいません。『この先生は来ないのですか?』とスタッフの人に聞くと『東京にいます』という返事でした。機械で治療をするから大丈夫だというのですが、何かピンとこないのです。その機械で治療をしてもらいましたが、腰には何も変化もありませんでした。怪しいと思いながら2日目も訪ねました。

 翌日もやっぱり腰は良くなりません。そこでダメだと見切ってもいいのに、何か気になるんですね。しばらくして札幌市内の別の会場で体験会があるというので、そこも行ってみました。そのときも腰に変化はありませんでした。でも、ハイゲンキが気になったので、思い切って購入しました。なんで買ったのか、私もわかりません(笑)」

 なぜそんなにも気になったのだろうか。しかし、あのときの決断がなければ、今の本多さんはなかった。本多さんを真氣光に導く何らかの力が働いたに違いない。

ハイゲンキを当て続けても腰は良くなっていかなかった。その段階でハイゲンキを押し入れにしまってしまう人は多い。本多さんは違った。効果がなくても、真氣光に可能性を感じていた。それで下田の研修講座に参加することにした。

「行って良かったですよ。先代の氣を受けて劇的な効果がありました。最初は床に座れないので椅子を用意してもらいました。下田は前に舞台があって、そこに上げられて氣を受けました。そしたら、足を伸ばして床に座れるようになるし、お風呂も入れるようになるし、びっくりするくらい良くなったのです」

 そこでやっと真氣光のことを信じられるようになった。翌年には生駒へ行った。ところが、そこではもうひとつ効果が感じられなかった。「どうしてだろう?」と考えた。思い当たることがあった。「先代に頼り過ぎていたのではないだろうか。他力本願になり過ぎていた」ことに気づいたのだ。自分の力で何とかしてみようと、しばらく研修講座とは離れることにした。

真氣光とヨガで腰が良くなり、すばらしいご縁をもらった

 それが本多さんにはプラスに働いた。しばらくして再度、研修講座を受講した。奥さんも連れて、一緒に勉強することにしたのだ。

「このときにたくさんのことを学ぶことができました。自分の体は自分で治すんだ、人に治してもらうということではないということがはっきりとわかりました。そして、自分で気づいて、考え方や生き方を変えないといけないと思いました」

小原田泰久 奥さんも真氣光の良さを肌で感じた。これも良かった。夫婦で真正面から真氣光と取り組むことになったのだ。奥さんは、このときがきっかけで、食事ボランティアに生駒へ通うことになった。

 このころから本多さんはヨガも真剣に学ぶようになった。研修講座で龍村先生と親しくなり、先生が札幌へ来て講座を開くときには必ず顔を出した。龍村先生の知り合いが札幌で開いているヨガの教室にも通った。

小原田泰久「ヨガをやってわかったのは、私の腰痛は昔、交通事故でむち打ち症になったのですが、あれがもとにあるとわかりました。ずっと首が曲がっていて、背骨が湾曲し、腰に負担がかかっていたのです。その歪みを取るには筋肉を緩めて、自分の体で歪みを取っていかないといけないと思いました。

 もちろん、そのためにはヨガは有効ですが、ハイゲンキも筋肉を緩める働きがあることに気づきました。それで、毎朝、家内と背中にハイゲンキを当てっこするようにしています。そうすることで背骨が真っ直ぐに伸びますから病気にもなりにくくなります」

 どんどんと理屈が組み上がってきた。技術関係の仕事をしてきた人だから、物事が論理的につながると気持ちがすっきりする。そこから、本多さんの氣功やヨガへの関心はさらに深まっていった。

「腰痛は、10年くらいかかりました。ずっと、朝起きたときには腰が苦しくて動けない状態でした。ハイゲンキを背骨に当てると、やっと動けました。

 ヨガも習っていましたが、ぼくは、ずっと病気治しのヨガをやってきたと思います。とにかく、腰痛を治すことばかりを考えていました。ヨガの真髄よりも、腰が治ればいいと思ってヨガをしていました。

 だから、龍村先生が、心の話なんかをしてくれても耳に入りませんでした。腰のことを話しているときだけ反応しました。そんなことだから、何年やってもヨガは上達しないし、ヨガの本質もわかりませんでした(笑)。

10年くらい習って、ようやく呼吸だとか意識だとかについて、だんだんと考えるようになってきました。不思議ですよね。それを考えるようになってから、できない動きができるようになってきて、腰痛がぐぐっと楽になりました」

氣功もヨガも、病気を治すことばかりに意識が向いてしまうと期待したような結果が出ないことがある。氣功やヨガをすることで、さまざまなことに気づくことが大切だからだ。体と心がとても密接な関係があること。私たちは見えない力の影響を受けていて、病気もただ体の異常を治せばいいわけはない。心の持ち方、真氣光で言われるマイナスの氣にもアプローチする必要があるのだ。

そこまで視野を広めて氣功やヨガに取り組むことで、本多さんのように、長年の苦痛が劇的に解消することもある。

 真氣光の面白さは、縁が縁を生んで、人生そのものが大きく変わっていくことだ。本多さんは、真氣光を通して当時恵み野病院の副院長だった柴田岳三先生とも縁ができた。

「柴田先生は、確か先代が倒れていなかったときの研修講座に参加したはずです。そこで中国の林厚省先生に大極氣功18式を習い、それを病院でも始めていました。

 先生と知り合ったのは、札幌センターであった『医師が本音を語る会』でした。そこに柴田先生が来られていて、病院で太極氣功18式をしているというお話をされました。

 私はちょうど、札幌から恵み野に引っ越したばかりでした。先生は朝の8時から太極氣功18式をしているというので、それに参加させてもらいました。それをきっかけにボランティアでお手伝いさせていただくようになり、先生が忙しいときには、私が先生の代役で患者さんと一緒に18式をやったりしました。それに、一般の人ももっと医療のこと、介護のことを知らないといけないと思って、先生と健康塾を立ち上げました。2017年まで19年間やりました。

先生と出会って20年以上です。今もボランティアでかかわらせています。同じ昭和22年生まれです。すばらしい縁をあのときにいただいたと感謝しています」

ボランティアで介護施設へ通ったり、地元でヨガ教室を開く

 真氣光研修講座の受講者の中には、和歌山の西本真司先生をはじめ、たくさんの医師がいる。本多さんが言ったように、あのころ、氣功は怪しい宗教と一緒にされていた。そんな中で医師という立場で氣功に興味をもち、一週間の休みを取って研修講座に参加するというのは、よほどの変わり者か、時代を先読みできる人だっただろうと思う。

 あのころ、西洋医学は万能ではないことに気づき始めた人が少しずつ増えていた。西洋医学は肉体しか見ない。しかし、病気になるのは心や魂の影響もある。肉体を見る西洋医学に心や魂を見る治療法を加える必要性がある。そんな視点から「医者が本音を語る会」は開かれていた。札幌での会には56人の医師が「本音」を語ってくれた。

 そこで出会った柴田先生と本多さん。今では戦友と言えるような親密な関係だ。まさに、あの会は運命的な出会いの場所だった。

 柴田先生は、その後、室蘭のホスピスに移った。病気を治す立場から看取りの仕事に移ったわけだが、柴田先生が目指すホリスティックな医療に向かうには、そこを体験することは必然だっただろうと思う。

「先生が室蘭のホスピスにいたころ、柴田先生にちょっと手伝ってほしいと呼ばれたことがありました。私は、患者さんたちに、龍村先生から習った手もみをしてあげました。アロマセラピーのインストラクターの資格も取っていたので、アロマオイルを使って施療をしました。ホスピスにいる患者さんは、手術も受けているし、点滴もしているし、体のあちこちを触ることができません。でも、手だったら大丈夫なので、手をもんであげました。とても喜ばれました」

手もみは、今では指ヨガと呼ばれている。手をもむだけで元気になれるなんてと疑問に思う人もいるだろうが、それがあなどれない。簡単にできて効果も出るので、ずいぶんと広がってきた。

「ある画家さんでしたが、車椅子でホールにやって来られました。キャンバスに粘土を張るという方法でラベンダーの絵を描いていると言っていました。私がこのアロマオイルにはラベンダーのエキスが入っていると話したらとても喜んでくれて、自分の絵を見て欲しいと、病室へ戻って行きました。そのとき、スタスタと歩いて行ったのです。ずっと車椅子の人でしたから、まわりの人もびっくりです。それくらい効果がありました」

 本多さんもうれしかったに違いない。氣功やヨガを習っていなければ、こんな場面に遭遇することもなかったはずだ。真氣光を習ったことで、手をもむときにも、無意識のうちに氣を流しているのだろうと思う。手をもむ刺激と氣との相乗効果が出たのではないだろうか。

「柴田先生は、室蘭市から恵庭市に戻ってきて、緩和ケアクリニックを作り、在宅医療を始めました。それにグループホームを立ち上げ、サービス付高齢者住宅も作っています。 忙しいですよ。70歳で大勝負だと張り切っています」

 生と死を見つめてきた柴田先生だからこそ、何が必要かを痛感して、大きな勝負に出たのだろうと思う。本多さんは、介護施設でボランティアを束ねる役割を引き受けた。柴田先生にとって、頼もしい存在だ。

 今では、月に二回の指ヨガ教室、アロマ教室を一回、それにボランティア会議やイベントで月に一度、柴田先生が立ち上げた介護施設に通っている。

 さらに、真氣光の札幌センターで月に一度、地元の公民館を借りてのヨガ教室も開いている。充実の日々を送っているようだ。

「家内も一緒にやっています。私だけが元気では困るので、家内も引っ張り出そうと思いました。真氣光研修講座も、私の勤続20周年で休みがもらえたので家内に声をかけて一緒に行きました。家内も真氣光を理解してくれているのでとてもやりやすいし、ヨガに誘ってもすぐに来てくれました。それに知り合いの娘さんがうつになったので、何とか力になりたいと思って、ヨガ教室を始めました。おかげさまで、自分も家族もまわりの人も元気になっています」

 腰痛で苦しんだときはつらかったと思う。だけど、つらい腰痛があったからこそ、真氣光やヨガに出会い、そこから柴田先生へとつながっていく。そう考えると、腰痛に感謝ということになる。本多さんの話を聞いていると、人生にはプラスとマイナスが入り混じっているとつくづく感じさせられる。

  • 本多さんのヨガ教室の予定

3月3日(土)13:30~15:00 参加費無料 (一般の方の参加も歓迎です)