ハイゲンキ〜行動派たちの新世紀 vol. 216
月刊ハイゲンキ
2020年5月号 掲載記事

厳しい浄化に向き合わないといけない。人類は何をすべきか

 新型コロナウイルスの勢いはまだまだ終息には向かわない気配だ。目に見えない小さなウイルスが世界中の人たちをパニックに追い込んでいる。ホピの予言で言われている「浄化」のひとつかもしれない。大変な事態だけど、人類が意識を変えるチャンスでもある。

すべての命を敬い大切にする生き方が求められている

 こんな騒ぎになるとは想像もつかなかった2月の中旬。東京で映画「ホピの予言」の上映と福島県南相馬市の同慶寺の住職・田中徳とくうんさん( 45)の講演会が開催された。「ホピの予言」の監督である宮田雪きよし氏は2011年2月14日に亡くなった。阪神淡路大震災が起こった1995年3月に脳出血で倒れ、東日本大震災が起こる直前までをベッドの上で過ごした。その間、妻である辰巳玲子さん(2016年11月号会長対談)が献身的に介護をしたが、その期間は、彼が伝えようとしていた重要なメッセージの、言葉を超えた引き継ぎだったのではないかと思う。監督の死後、辰巳さんは全国各地で「ホピの予言」を上映し、監督に代わってアメリカ先住民のメッセージを伝えてきた。

小原田泰久 浄化の日・・・。人類のひたすら物質的な豊かさを求める生き方は地球環境に大きなダメージを与えてきた。地球の生命エネルギーが不調和となり、バランスを取り戻そうとさまざまな出来事が起こる。地震であったり異常気象だったり病気の蔓延だったり。その一連の出来事を浄化と呼ぶ。新型コロナウイルスも浄化のひとつだと考えられる。

 浄化のあとには清々しい地球が戻ってくるのだが、ここまでバランスが崩れると、半端な現象では浄化が終わらないかもしれない。これからも、私たち人類にとっては都合の悪いことが、次から次へと起こってくる。

 浄化の規模は、人類の生き方、考え方がどれほど変わるかにかかっている。物質的豊かさばかりに固執せず、精神的・霊的に満ち足りた生活へと移行することができれば、浄化は比較的軽くすむはずだ。今、人類がどういう生き方を選択するかで、浄化の波の大きさが決まってくる。

 そんな思いを胸に、宮田監督が残した貴重な映像を携え、辰巳さんは全国を回る。ホピのメッセージに共鳴した人たちが彼女を支える。

 地球に住んでいるのは人間だけではない。たくさんの生き物が暮らしている。どの命も平等で尊いもの。ウランや石炭、石油だって、人間に利用されるためだけに存在しているのではない。

 映画上映をとおして、たくさんの人が、声を上げ始めた。今は、同時多発的に、このうねりが広がっている。大変な状況が続くのは間違いないが、決して悲観ばかりしている必要はないと思う。確実に希望はある。

宗派の垣根をなくして、すべての人類が危機に立ち向かう

小原田泰久 この日のゲストは福島県の同慶寺住職・田中徳雲さん。東日本大震災で大事故を起こした福島第一原発から17キロの地点にある同慶寺というお寺の住職だ。地震では、本堂の土壁が崩れ、瓦が落ちてお寺は半壊状態になった。扉やサッシがゆがんで鍵も閉まらず、 仏像の損傷もひどかったと言う。原発事故があって突然の避難命令。家族と一緒に福井県へ。しかし、全国に離散した檀信徒のことが気になって仕方ない。3月末には単身で福島へ戻った。今は、いわき市に家族と暮らし、75キロ離れたお寺まで毎日車で通っていると言う。

 若いころから、便利な生活のために、自然を犠牲にし、経済ばかりを求める社会に疑問を感じていた。原発の危険性に対しても、ずっと発言を続けてきた。

 「便利な時代の恩恵を受けて生活してきた私たちは、被害者であると同時に加害者でもあることを自覚し、反省しないといけません。 私たちは今、生き方を問われていると思います。

 原発は仏教的にはアウトです。 仏教ではすべての命は平等で、傷つけたり殺したりしてはいけないと説いています。原発事故が起こってどうなったか。故郷を追われた人がたくさんいます。放射能汚染により、先祖伝来の土地、田畑、そして 生き甲斐となる仕事を奪われた人々の精神的なショックは筆舌に尽くしがたいものです。病気になる人、亡くなる人もいます。そういうものを簡単に進めてはいけないですよ」 彼は、新しい価値観を提案し、自らも実践している。たとえば食をどうするか。世界中の食べ物を欲しがる必要などない。自分たちで作ったものを食べればいいと、農業を始めた。子どもたちを集めて野菜を作り、収穫したらみんなで食べる。そういう生活がどれだけ豊かなのかを、実際に農作業をしながら説いている。さらには、 私たちの命を支えてくれている大地に感謝をしないといけないと、 徳雲さんは「歩くことで大地を感じよう」というイベントを行っている。言葉だけでは通じないことが多い。実際に大地を感じるにはどうしたらいいか。意識のスイッ チを入れ替えさえすれば、歩くという日常的なことであっても気づけることはたくさんある。

小原田泰久 なるべく物を持たない生活。仏教では「足るを知る」と教えている。あれもほしい、これがあったら便利なのにと、人の欲望を刺激することで、現代の経済優先社会は作られてきた。そろそろ欲望に任せて生きるのはやめたほうがいい。必要最小限のものに満足し感謝して暮らす生活を取り戻そう。 江戸時代に戻る必要はない。現代人が欲望を半分にするだけで社会はがらりと変わってしまうはずだ。足りないものは補い合えばいい。みんなで助け合う生活を体験して、人と人とがつながることがこんなにも気持ちいいのだと感じてもらう。

 地球に生きる一員としてのライフスタイルを、徳雲さんも模索しながら、縁のあった人たちと一つ ひとつ形にしていっているのだ。

 彼は宗教者として、宗派の垣根をなくしたいと思っている。曹洞宗であろうと浄土真宗であろうと、本来は人の幸せを願うものだ。キリスト教もイスラム教も同じ。命を見つめて、生き方や心のあり方を説いていくことが宗教の役割だ。本来の宗教のあり方を見直したいというも、徳雲さんの願いだ。

 昨年の 11 月には来日していた ローマカトリック教会のフランシ スコ教皇と東日本大震災の被災者 との集いでスピーチをした。地元 のカトリック教会の推薦で決まっ たことだった。

 これまでさまざまな“浄化”が あったが、新型コロナウイルスはだれもが当事者という面で、とてつもなく大きなハードルだと思う。これを乗り切るには、人類がいかに力を合わせることができるかがカギだろう。それも、ただウイルスをやっつけるということでなく、もう一段レベルの高い解決法を、私たちは見つけないといけないのではないだろうか。