「理想の暮らしって何だろう?」
ついつい、何の不自由もなくのんびりとノンストレスで暮らすことだと思ってしまいがちだ。しかし、どうもこの映画はそんなことを語っているのではないと徐々にわかってくる。
「ひょっとして、人がもっとも幸せを感じるのは、大きな力に生かされていることを実感したときなのではないだろうか」
彼らの奮闘ぶりを見ていて感じた。自分の力ではどうしようもないことを知る。しかし、あきらめそうになったときに、思わぬ助けがくる。そんな体験をしながら、自分が成長していくことを実感できる暮らしこそ、彼らの理想なのではないだろうか。
たとえば、作物がアブラムシだらけになる。彼らは農薬を使わないので、アブラムシに対抗する術はない。作物はどんどん枯れていく。もう全滅だ。ため息が出る。情けなくなってくる。
ところがあるとき、どこからともなくてんとう虫がやってきて、アブラムシを食べ始める。悩みの種だったアブラムシがみるみる消えていく。
彼らが何か策を弄したわけではない。自然にてんとう虫が発生して、ピンチを救ってくれたのだ。こんな仕組みになっているのだと目を丸くする。感動する。
カタツムリが大量に発生したこともある。作物の葉っぱや実を次々と食べてしまう。とても手で取れるような数ではない。あきらめるしかない。ところが、このときも思わぬ救世主が現れるのだ。
自分の無力さを突きつけられ、こんな無力な自分でも守られていることを知る。
「人間は自然を支配しようとしてきたけれども、そんなことはできっこない。でも、自然の流れに従って生きていれば、必ず救いの手が差し伸べられる」
そんな気付きを得ることで、彼らは悪戦苦闘の毎日であっても、心に余裕をもって暮らすことができるようになるのだ。苦しみがあるからこそ喜びがある。苦しんだ分だけ大きな喜びが得られる。たくさんの発見もあり、その発見を実生活に生かすことで自然との共生度がステップアップする。
若い夫婦ががんばって夢を叶えたという単純な話ではない。夢に向かって進む中で、彼ら自身が変化していく。自然からたくさんのことを学ぶ。
楽しいことばかりではない。悲しいこともあれば、悔しいこともある。朝起きると、手塩にかけて育てたニワトリの死骸が散らばっている。コヨーテに襲われたのだ。呆然とする。卵は貴重な収入源でもある。コヨーテの襲撃は何度も続いた。堪忍袋の緒が切れたジョーは、散弾銃を持ち出す。引き金を引く。都合悪いものは暴力的に排除するのは、もっともやりたくなかったことだ。理想の城が崩れていく。ジョンは落ち込んだ。でも、そこから新たな展開が生まれてくる。
きれいごとだけでは生きられないのも自然の掟だ。
コロナの騒ぎをきっかけにライフスタイルを変えようと思っている人にはヒントになるだろうと思う。自分の夢を見直してみる。やろうと決意する。発信する。行動する。継続する。
「新型コロナウイルスのおかげで」
そう言えるようになりたいものだ。