ハイゲンキ〜行動派たちの新世紀 vol. 222
月刊ハイゲンキ
2020年11月号 掲載記事

場当たり的ではなくしっかりしたビジョンを~核のゴミ最終処分場

 原発問題は山積みだが、長年、議論されてきたのが、高度に汚染された放射性廃棄物(核のゴミ)をどうするかということ。廃棄物の処理法が決まらないまま原発を稼働させてきたため、核のゴミはたまるばかり。何ともずさんな計画としか言いようがない。ここにきて、ゴミの最終処分場になってもいいという自治体が現れた。

核のゴミが安全になるには10万年もの年月がかかる

 核のゴミの最終処分場の「文献調査」(文献で過去に起きた地震などを調べる)に北海道の2町村が手を挙げる可能性がある。町は町長が応募する方針を表明した。神恵内(かもえない)村も応募を検討している。

 核のゴミとは、原発で核燃料を燃やしたときに出る廃棄物のこと。猛烈な放射線を放つ死の物質と言われている。廃棄物を再処理してプルトニウム(長崎に落とされた原爆の原料)を取り出し、高速増殖炉で永久的にエネルギーを産み出す夢のシステムが進められたこともあったが、トラブルが相次いで実用化はならなかった。再処理にしても、青森県の六ケ所村に大きな施設を作ったものの、ここもトラブルの連続で、費用ばかりがかさんで動かず仕舞いの状態が続いている。

 危険なゴミはただただ積み上げられているだけ。核のゴミをどう処理するかというのは、原発を推進したい勢力としては頭の痛い問題だった。そんなときに、候補地として2つの自治体が興味を示した。

 核のゴミの処理は、さまざまな方法が検討された。宇宙に捨てればいいという乱暴な意見も真剣に議論されたようだ。結局は、地下に埋めるのがいいというところに落ち着いて、日本では廃棄物をガラスで固め、地下300メートルよりも深い岩盤に埋めることになった。ただし、埋めたものをどう管理するか。核のゴミが無害になるのに10万年かかると言われている。100年200年なら何とかコントロールできるかもしれない。しかし、10万年という途方もない未来にまで、危険極まりない物質を残していいのか。ちなみに、縄文時代が1万5000年ほど前だと言えば、10万年は予測不能な年月だということがよくわかっていだけるだろうと思う。もちろん、数百年の後に放射能を無害にできる技術が開発されて核のゴミ問題が解決する可能性もあるけれども、そこまで大地震も地殻変動もなく、地中に埋めたゴミが安全に管理される保証はない。今すぐに大地震が起きて放射能が拡散される可能性も十分にあるわけだ。リスクの大きな選択だと思う。

 本誌の2019年6月号で中川会長と対談してくださった樋口英明さん(原発を止めた裁判長)にお話をうかがった。第一声、樋口さんはこう言った。

「お金が入るということで気楽な気持ちで調査を受け入れる表明をしたかもしれませんが、原子力村というのはそんな甘いものではありません。さまざまな利権が絡んできますから、手を挙げた途端にあらゆる手段で確定場所にしてしまおうという力が働くはずです」

 文献調査を受け入れるだけで20億円の交付金が出る。この交付金を受け取っても、最終処分地になることは断れるし、断ってもお金を返す必要はない。コロナ騒ぎも重なって財政の厳しい自治体としては魅力的な話だ。しかし、原子力村としては喉から手が出るほど欲しいのが最終処分地。せっかくの候補地を簡単に手放すはずがない。

賛成派と反対派の争いによって地域が壊されていく

 今年の春、『原発の断り方』(月兎舎)という本が出版された。1963年、三重県度会(わたらい)郡南島町(現南伊勢町)と紀勢町(現大紀町)にまたがる風光明媚な芦浜に原発を建設する計画が発表された。賛成派と反対派の壮絶な闘いがあり、2000年に計画は白紙撤回となって、原発建設は中止された。その原発闘争で反対派の中心となって活動した柴原洋一さんがまとめたものだ。

 寿都町、神恵内村がこれからどんなふうになっていくのか、この本を読んでいると予測がつく。大変なことになる。

 地域の人間関係が破壊されていく危険性をはらんでいるからだ。

「古和浦(こわらい)は、五〇〇軒ほどの家々がひしめく小さな漁村だ。冠婚葬祭といわず日々助け合って暮らしてきた。なのに、生まれた時から一緒にやってきた隣人が、ある日を境に挨拶もしなくなる。知らんぷりをするどころか、睨みつけてきさえする。親子兄弟間の仲違いも少なくなかった。

 子供が道でつまづき倒れたとする。助け起こす前に『(反対派か推進派か)どっちの子だろう?』とつい顔を確かめてしまう。両派の正組合員数が拮抗してきたので、相手派の誰かが亡くなったと耳にしては喜ぶ自分に愕然とする」(『原発の断り方』より)

 原発誘致に関しては、どこでも多かれ少なかれ、こうした地域社会の分断と破壊は付き物なのだ。平和だった町が流血沙汰で大騒ぎになることさえある。

 権力者が地域を支配しようとするとき、もっとも有効な方法は、住民を分裂させることだ。そのときにお金がばらまかれる。遠い昔から、この手法は使われてきた。アメリカ大陸にやってきたヨーロッパ人が先住民を支配するときにも、分裂させて闘わせて、本当に利益を得る人たちは、混乱を遠巻きに見ながら、次第に優位な立場を作っていく。傷つくのは、地域の人たちだけ。

 これから町民、村民の議論が白熱するだろうが、その先には苦悩のシナリオがあることを念頭に入れて行動してもらいたいものだ。

 原発の問題は、危険か安全かという話から始まって、人と人の争いになり、地域が崩壊するところまで行ってしまうものなのだ。核のゴミがたまっている以上、処理をせざるを得ないのはわかる。しかし、場当たり的に、お金に物を言わせて処分場所を決めてしまうのでは、その地域が崩壊するばかりではなく、次世代でも必ず問題が発生する。

 問題の本質はどこにあるかをもっと真剣に論じる必要があるのではないか。核のゴミが問題になるなら、出さないようにすることが先決だ。つまりは、原発を止めること。それを決定した上での最終処分場の話ではないだろうか。

「処分場をどうするかは、国全体、あるいは世界規模で考えていく必要があると思います。自分が生きている間に何もなければいいのかということです。子どもや孫は、さらにもっと先の子孫は。そこまで視野を広めて考えれば、お金が入るから賛成しようとは割り切れないと思います」(樋口さん)

 経済のことばかりが優先されて安易に原発を増やしたことで核のゴミという問題を抱えることになった。ここで今、安易に処分場を決めようとすると、さらに大きな問題につながってしまうことを忘れてはいけない。