小原田泰久の

甲州移住ライフ

Yasuhisa Oharada

Journalist

見えない世界と見える世界をつなげる

 行動派をお休みして、しばらく小原田の「甲州移住ライフ」にお付き合いいただければと思う。ちょうど本誌が発刊になる11月中旬から、ぼくは山梨県甲州市に移り住むことになった。東京、埼玉で暮らして35年。新型コロナウイルス騒ぎとひょんな出会いがきっかけで、まさかまさかの山梨暮らし。果樹園とのコラボも企画中。どんな生活になるのか、想像もつかないが、毎月、ぼくの身のまわりで起こる出来事をレポートしたいと思う。



甲州移住。この展開は
キッチンカーから始まった

 

 ぼくは三重県の生まれで35年前に東京へ出てきた。妻は札幌生まれで東京生活は30年弱だ。縁もゆかりもなかった山梨。そこに移住することなど、この夏まで考えてもなかった。

 そもそもの始まりは、昨年、次女・氣恵が友だちとキッチンカーを始めたこと。高校時代からラーメン屋や居酒屋でアルバイトをしていた次女。普通に就職する気などまったくなかった。かと言って、ずっとアルバイトでいいとも思っていない。

小原田泰久 氣恵は、子どものころからどんなことも器用にこなせた。しかし、ある程度までスキルアップすると、「もう飽きた」と違うことを始める。自分の得意なことをどんどん深掘りしていく長女・氣子や三女・氣歩とはまったく違うタイプだ。

とても気の利く子で飲食業には向いている。昨年の夏ごろ。居酒屋のバイトにも飽きがきて、本人もこれからどうしようかと迷っている様子だった。転機を迎えているなという予感がした。

そんなときの妻・弘美のひらめきがキッチンカーだった。

小原田泰久 弘美の真氣光歴は30年以上になる。人生というのはひょんなことから大きく変わるものだと思う。まだ彼女が独身時代、交通事故でひどいむち打ち症になり、もう治らないとあきらめかけていたときに母親の知り合いが1枚のチラシを届けてくれた。真氣光の無料体験会の案内だった。疑心暗鬼で会場に出かけたが、たった15分のビデオ氣功ですっかり良くなってしまったのだ。

 ここから彼女の真氣光人生が始まった。ハイゲンキを購入し、セミナーに参加し、真氣光研修講座も受講した。さらに、先代会長のもとで働くために上京する。スピリチュアルな能力が芽生え始め、オーストラリアでのイルカとの意識交流でも先代会長に同行した。ぼくと結婚したのはその後のことだ。今は、真氣光をベースとしたヒーリングや占星術を生業としている。

 真氣光と長くかかわっていることで弘美のひらめきはどんどん冴えてきている。キッチンカーはタイムリーなアイデアだとぼくも感心した。しかし、神様は直球ばかりを投げない。ひらめきがそのままうまくいくとは限らないのだ。

 新型コロナウイルスでキッチンカーはとん挫してしまった。アウトレットモールを中心に出店していたのだが、すべてキャンセルとなったのだ。銀行から融資を受けているし、これを返済していくのも容易なことではない。いやはや、お先真っ暗。

 さてどうしたらいいか。2人で考えているうち、ぼくと弘美が同時に頭に浮かべたのは、知り合いから紹介された果樹園のオーナーだった。真っ暗な中に小さな光が現れたという感じだった。最初のひらめきは単なるきっかけで、その奥にあるドアを開けたときに、これが真意かなと思える景色が見えてくることがある。神様の変化球。大きく曲がった。ぶつけられるのではと冷汗をかいた。

 オーナーはアルミ関係の会社の役員をやりながら、山梨で桃やブドウを作っているという変わった人だ。三男が障がい者だということがあって、障がいのある人も病人も高齢者も働ける農園作りを目指していた。氣恵と友人は、ときどきそこへ遊びに行っていて、オーナー家族とはとても親しくなっていた。

 「彼女たち、果樹園で働かせてもらうというのはどうだろう?」

 そう思った途端、イメージがどんどん広がっていく。コロナが治まったあと、果樹や加工品をキッチンカーで売ればいいじゃないか。そのためには、果樹の栽培も体験した方がいい。

農業には作物を生産するだけではなく人を癒す力がある

 

 3月も終わりころになると、東京がロックダウンされるかもしれないという雰囲気が広がってきた。もうぐずぐずしていられない。オーナーに連絡を取った。話は早かった。4月から氣恵たちは山梨で働くことになったのだ。

 一瞬先はどうなるかわからないけれども、わからないからと言って立ち止まっていてはいつまでも希望は見えてこない。たとえ前に霧がかかっていても、うっすらとでも道が見えていたら勇気を出してゆっくりと進んでみる。その先のことは、5メートルでも10メートルでも前進してから考えればいい。少しずつ進むうちに霧が晴れて、広くてきれいな道が見えてくることはよくあるものだ。あのままキッチンカーに固執していたらどうなっていただろうか。ひょっとしたらいい出店先が見つかったかもしれないが、違う方向に活路を見出そうと動いたことで明るい未来が開けてきた、という感覚がぼくたちにはある。少なくとも悔いのない選択ができたとは思っている。

 氣恵が農園で働くようになってから、ぼくたちも何度か山梨を訪ね、オーナーたちのご家族とワインを飲みながらあれこれ語り合った。つい2ヶ月ほど前、オーナーの口から「アグリヒーリング」という言葉が出た。

小原田泰久 アグリカルチャー(農業)とヒーリング(癒し)。農業は作物を生産するばかりではなく、農作業をすることで癒される人がたくさんいる。自然の中で働くことでストレスが解消される。富士山を見ながら農作業ができるなんて最高だ。種をまけば芽が出てきて花が咲き実がなるという成長の過程を見ると、作物が愛おしくなり、命とはこういうものだという気づきがある。雑草や虫や微生物がとても重要な働きをしているということを身をもって感じれば、環境問題にも意識が向く。感謝の気持ちも湧き上がってくる。

「農業を癒しの手段として使えないだろうか」

 オーナーの考えには大賛成だ。「一緒にやっていきませんか」という誘いに、ぼくたちは大きくうなづいた。常に新しいことに挑戦したいという進取の精神をもっているオーナーだからこそ、ぼくたちが「癒し」をテーマにした活動をしていることを知って、何か感じ取るものがあったのだろう。

 癒しのポイントは、まず人が集まること。かつてホピ族の村へ行ったとき、メディスンマンから「癒しは体験の分かち合いだよ」と教えてもらった。人が集まって話をすれば、自然と体験の分かち合いが生まれる。その上で、農作業をすれば、体験がもっと広がっていく。そんな活動にこれから力を入れていきたい。